見出し画像

一等船客

プロムナードデッキの椅子に腰かけて本を読んでいる時に、黒い服を着た背の高い男が若い女と連れ立って私のそばを通り過ぎた。
男が連れの女に
「なんか臭いな、どっかに二等の客が紛れ込んでるんじゃないか」
と笑いながら言ったのが聞こえた。
その男と話したことはなかったが、見覚えはあった。私はその男の尊大な態度が苦手だった。

考えてみれば私は当たり前のように一等船客として過ごしているが、一等船客のチケットを取った記憶は無い。それどころかどうやってこの船に乗ったのかも憶えていない。
いつの間にかこの大きな船に乗っていた。
男の言葉を聞いて以来、もしかしたら自分は二等船客なのではないか、と考えるようになった。

ずっと、自分のいるべき場所はここではないのではないか、と感じていた。
わたしの周りの一等船客たちは、おおむね感じのいい人達だったし、なかには意地の悪い人もいたが、私はその感じのいい人達とも意地の悪い人達とも同じようになじめないものを感じていた。
それは私が本当は二等船客だからなのではないだろうか。

実際に二等船客を見たことは一度もない。
二等のエリアがどこにあるのかも知らなかった。

私にはあまり親しくしている人はいなかった。何人か挨拶をする程度の仲の人がいるだけだ。
その人達に二等船客のことを聞いてみたが、皆なにかあやふやな態度で
「なんでそんなことを気にするんだい」
などというだけだった。
だれも二等船客に会ったこともなければ、二等のエリアがどこにあるのかも知らなかった。

船員たちはみな丁寧で、にこやかに接してくれるのだが、二等船客のことを質問すると、困ったような顔をして、
「申し訳ありませんが、私にはわかりかねます」
と言うのだった。

しかたがないので、船長に直接聞いてみることにした。

船長がデッキを歩き回り、周りの船客たちに気軽に話しかける姿をよく見かけていた。
私は船長と話したことは無かったが、好感をもっていた。
ただ、あまりに人当たりが良すぎるので、もしかして本当の船長ではなくて、そういう役を演じている役者なのではないか、と疑ってもいた。

船の談話室で船長と話した。
船長は真剣な態度で聞いてくれた。
余計な質問も差しはさまず、私の話を最後まで聞いてくれたあと、船長は一つ大きくうなずくと、
「ちょっと待っていてください」
と言って席を立った。
10分ほどして彼は大きな図面を何枚も持ってきて、机の上に広げた。
「これがこの船の地図です」
船の最下層から一番上のオープンデッキまで階層別に一枚ずつ、どこに何があるか書かれている図だった。
「よく見てください」
と船長は言った。
機械室、倉庫、船員たちの居住スペース。
それ以外の、船客のいるエリアは、私が知っている一等船客のエリアだけだった。
「お分かりですか」
と船長は言った。
「二等船客なんてことを冗談でおっしゃるお客様はいらっしゃいますが、実際にはそんなものはいないのです」
そして船長は両手を広げて、感極まった様な声でこう言った。
「この船のお客様に、二等などと呼ばれる人はおりません。皆様が一等船客なのです!」

船長が嘘をついているのがわかった。
あまりにも芝居がかっていた。

次の日から、船長にもらった船の地図をもって船の中を歩き回った。
どこかに地図と合わない場所があるはずだ。
機械室や倉庫に入ろうとして船員に止められることもあった。
親切だった船員たちも、私に対してひどく迷惑そうな顔をするようになった。
それで彼らが隠し事をしていることを確信した。

まだ二等のエリアを見つけてはいないが、私はあきらめない。
きっといつか私は二等のエリアを見つけて、本来私が居るべき場所に入っていく。
そこで初めて私は居心地の悪さを感じずに、のびのびと生きていくことができるのだ。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?