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ひとつにならなくていい。

オセロの盤面では、すべてを白にしたい人もいれば、すべてを黒にしたいと思う人もいる。「ひとつになろう」とすればするほどに、人は対立することになる。

僕らはひとりひとりが固有の魂を持っている。異なる経験、人生を持ち、異なる考えや意思を持っている。気の合う人も気の合わない人もいる。なぜそうなっているのか。ひとつであればいいのなら、こんなにバラバラに生まれてくる必要はない。バラバラなのにもちゃんと理由がある。

ひとつになろう系(と僕は呼んでいる)は宗教的な集団によくある陶酔だ。涙目で世界をまなざしているうちは視界はずっとぼやけ続ける。冷静かつ明瞭に真理をまなざそうとする目とはむしろ対極にある目だ。"この世にはそういう種類の心理状態がある"ということをよく知っておいた方がいい。この手の陶酔は麻薬のように中毒性があって、一度ハマるとなかなか抜け出せない。

集合意識はわかる。そういうものはある。自然と繋がって、大きな意思の一部として僕らの身体は動かされることがある。それでも、なぜそういうことが"可能であるのか"を突き詰めるならば、それはやはり「全員バラバラであるから」だ。ひとつではないからこそ、バラバラだからこそ、それぞれに役目が与えられる。

「あなたが良いと思う色に、別にわたしはなりたくないんだよ」。そういう気持ちは大切だ。その気持ちこそあなたが他の誰でもない、代わりの効かない「わたし」であることの証左だ。他人から学べるところはどんどん吸収したらいい。けれど、「それでもわたしはこっちで行く」という意思は大切にしてほしい。それがあなたがあなたである理由であるはずだ。

「バラバラであること」を肯定した盤面でのオセロは無意味だ。わたし白い。あなた黒い。なんで全部白くしなきゃいけないの。なんで全部黒くしなきゃいけないの。はははっ、くだらないね。ただ色が違うだけなのに。他にも赤いの、青いの、黄色いのもいる。世界は実にカラフルだ。

珊瑚礁を見たいならモノクロ眼鏡を外せ。この世はオセロじゃない。幾数億の色がある。さあ涙を拭け。顔を上げろ。鮮烈にこの世をまなざせ。

ふと見渡せば空を飛ぶもの、地を這うもの、海を泳ぐもの、さまざまな種類の生き物がいる。これが真理だ。ずっと目の前にある、当たり前すぎる真理だ。「バラバラのまま調和せよ!」とは言ったものの、世界は最初からバラバラのまま調和している。そして世界は一度もひとつになったことはない。

「バラバラのまま調和せよ!」
とはつまり
「ひとつにならなくていい」
ということだ。

気の合う人とは一緒にいたい。けれど、「ひとつになる」なんて僕は御免だね。やめてよね。僕は僕、あなたはあなたでいいでしょ。異なる者どうしが惹かれ合ってその時たまたま一緒にいる。惹かれ合わなかったら離れていく。離れられないなら折り合いつけてやっていく。それでいい。ひとつになんてならなくていいから、違っていていいから僕らはバラバラに生まれてくる。バラバラだからこそ、それぞれ固有の役目がある。ある者は手となり、ある者は目となり、ある者は足となる。

最近ある方と、楽器の弦を調律せずにセッションさせて頂くことがある。バラバラのまま呼応し合っていると、ある瞬間、「奇跡の調和」が生まれる。まったく想定外の美しい世界が僕らの上に香りのように広がっていく。そういう予測不可能なグルーヴが、僕はたまらなく好きだ。さあみなさんご一緒に、バラバラの歌を同時に歌いましょう。きっとヘンテコな世界が現れてめちゃくちゃ面白いよ。

バラバラのまま調和せよ!

ひとつにならなくていい。

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