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人生という物語の主人公は自分自身だ

最近、Twitterなどを見ているとふと感じることがある。現状に満足できていない人がこの国には非常に多い気がする。

単なる無いものねだりなのか本当に自信がないのかはわかりかねるが、もっと楽観的に生きてもいいし、挑戦したいことがあるならやればいいと思ってしまう。

人生という物語の主人公は他の誰でもないあなた自身なのだ。

はじめから自信なんてない

誰だってはじめは不安だし自信のある人なんていないと思っている。ホリエモンがそういうのだから間違いない。周りから見ればあんなにすごい著名人が自信なんてないと豪語するくらいなのだから。

でもそれでもやり続けるのだと、しつこく続けた者だけが世間に認められ、徐々に可能性は開けていくのだという。

まさにおっしゃる通りだなと感じる。だがそれは僕自身がたくさん挑戦して同じだけ失敗を繰り返してきたから共感できるのかもしれないと最近感じるようになった。

多くの人は失敗を恐れるし、しなくてよいなら避けたいと思うだろう。僕もそうだった。電話してみれば仕事になるかもしれないのに、いざコールするのを何度も躊躇った時期がある。

断られたらどうしようとか、嫌な反応されたらどうしようとか。そんなことばかりを頭の中でループさせては結局何もしない、そんな日々が2ヶ月以上も続いたことが過去にある。

でもいざ一歩を踏み出してみると、意外となんてことのないことのほうが圧倒的に多い。それがたとえ交渉決裂であったとしてもだ。

人は行動できたことでほぼ満足しているから。

応援したくなる

近頃同じ境遇の方を見かけると、当時の自分と重ね合わせてどこか応援したくなる気持ちが芽生えるようになってきた。

「共感」にはそれだけ強いエネルギーがある。
つまりファンを作ってしまえばいいということになる。仲良くなるには、心を開くには人は自分と共通項を見つけようとする。なので失敗談は自分を応援してくれる人と出会うきっかけになり得る。

だが以前の僕も含め多くの人はその失敗を人に見せまいと隠そうとする傾向にある。特に日本にはその文化が昔から根強い。

それが日本人の美学だからだ。どんなにキレイで大好きな奥さんでも、上司の前では妻の悪口を言う。これは無意識に相手との探る手段だ。辛い思いや苦い経験に人は共感しやすい生き物だからだ。また、何かお土産やプレゼントを渡す際に「つまらないものですが」といったテンプレートがいまだに浸透し続けている。

むしろ、そのやりとり無駄じゃね?

と感じる人も少なくないようだ。
なのでまずは挑戦することに意味があるし、僕はそんな人たちを全力で応援したい。

ありがとうございます✨デザイナー目指している娘にiPad買ってあげたいと思います✨