限りなく「正常」に近い「異常」
限りなく「正常」に近い「異常」が一番危険だ。
梶井基次郎に言わせれば、「檸檬」のふりをした「爆弾」のようなもの。
わたしたちはそれを爆弾だと気づくことができない。
気づいていないだけで、限りなく「正常」に近い「異常」という名の爆弾に囲まれて過ごしている。
「私は爆弾です!みなさん気をつけてください!」
一言そういってもらえれば、爆弾処理班が出動して爆弾そのものも、まわりの人たちも怪我なく過ごせるものだが。
それでも、
われわれはどこか「異常」を抱えているおかげで「正常」でいられるのかもしれない。
誰かを失った哀しみが幾ばくかの時間で消え失せるのは「異常」ではないだろうか?
わたしの愛情はその程度のものだったというのだろうか?
本当にわたしはあの人を愛していたのだうか?
これがもし「異常」だったとしても、この「異常」のおかげで、わたしの呼吸が続いているのはたしかだ。
「異常」こそが「正常」なのだろうか。
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