内田杞憂

ただの思いつきです。

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最近の記事

人の夢

あなたの夢が叶うということは、 わたしの夢が叶わないということだ。 ただもしかしたら、 わたしの夢が叶わないこと、 それがわたしの本当の夢なのかもしれない。

    • その人のそれ

      それは、 慢心でも、 油断でも、 自画自賛でも、ナルシズムでもなく、 ただ、 確固たる覚悟と、 揺るぎない自信、 である。

      • 世界の果て

        世界の果てに辿り着く、唯一の方法は、 数学でも、物理学でもなく、 ただわれわれの想像力だけなのかもしれない。

        • 若さとは

          若さとは、 失敗であり、 希望であり、 これから起こる全てである。

          タンポポ

          時は来た。 ここまで来るのにどれだけの時間が過ぎただろうか。 それこそ、雨ニモマケズ、風ニモマケる訳にはいかなかった。 口で言うよりも断然難しいことだった。 どれだけの仲間が雨ニモマケ、風ニモマケたことか。 それは、実際に体験したものにしかわからないことだ。 そういった困難を、私たちは、たしかに乗り越えてきたのだ。 そんなバックグラウンドを見せずに優雅に飛ぶ。 それがある種、私たちの役割と言えよう。 そうやって、私たちを見た何かが心を躍らせてくれるのなら、

          タンポポ

          あなた

          あなたは、大発明をしたわけではない。 あなたは、革命を起こしたわけではない。 あなたは、誰かの命を救ったわけではない。 あなたは、誰かを笑顔にしたわけではない。 あなたは、誰かより優れていたわけではない。 あなたは、幸せだったわけではない。 それでも。 あなたがいてくれてよかった。

          世界のおわり

          いづれやってくる世界のおわりに備えよう。 それはいつやってくるかもわからない。 私の世界が無事だったとしても、あなたの世界が無事かは、 正直な話、わからない。 私の場合、いま私の世界が1つおわってしまっても、あと3つ残っている。 それでも、 「それ」は忍びよる。 われわれの世界をおわらせる「それ」は、いつだって機会をうかがっている。 「それ」に対抗するには、 常に「それ」を警戒し返り討ちにする準備を整えるか、 あなたの世界を増やすか、 以外には選択肢はな

          世界のおわり

          夜色

          さあ、 夜が来る。 あなたの夜は何色だろうか。 赤だろうか。 紫だろうか。 はたまた黄だろうか。 その夜の色が、 明日の色を決める。

          単純なマヌケ

          気になるあの人から連絡が届く。 それだけで上機嫌になれるのは、 なんとも単純であり、 どこかマヌケさすら感じる。 でもきっと、それでいいのだろう。 こんな複雑な世界を生きるなら、 これくらい単純で、 これくらいマヌケな方が、 丁度いい。

          単純なマヌケ

          人工と自然

          自然と人工の調和。 それは美しい。 ここでふと、疑問がわく。 「人工は自然ではないのか」 人も自然発生的にたどり着いた一つの生命体であるなら、われわれがつくりあげた建物は、蜂や蜘蛛の巣と何が違うのだろうか。 いや、同じだ。 すべては自然なのだ。 人工物を含めた、自然物のすべてがあらゆる調和を成しているからこそ美しいのである。 われわれには不協和に見えるものすら、世界から見れば調和している。 それはもはや、われわれの言葉でいう「論理」を大きく超えてしまっている

          人工と自然

          1月、2月、ところにより3月

          重いまぶたを引きずって、走らせた筆。 それは手足のない爬虫類を生んだ。 連綿と続く胴体は、明日へと続いているようだ。 彼らは、控える戦いの強い味方になってくれるだろう。 生み落とした爬虫類の数のぶんだけ、あなたは強くなった。 でもどうか、 戦いの最中では彼らを生まないように。

          1月、2月、ところにより3月

          音の鳴る前に

          音が鳴る。 視線はそれを捉えた。 その直後に生まれたのは途方もない無力感だ。 予兆はなかったのか。 なぜ見えていながら視ることができなかったのか。 いくら悔やんだところで、われわれは後ろへ進む権利を持ち合わせていない。 次は、 次こそは、 音の鳴る前に。

          音の鳴る前に

          人生と歴史

          人は、 個別具体的かつ公的な事象の連なりを「歴史」と、 個別具体的かつ私的な事象の連なりを「人生」と呼ぶ。

          人生と歴史

          余白

          到着の時間までに余裕があれば、 おばあさんの荷物を持ってあげることができたのに。 仕事の締め切りまでに余裕があれば、 あの人を手伝ってあげることができたのに。 わたしの心に余裕があれば、 彼女の憤りを受け止めてあげることができたのに。 「わたしじゃなくても」 世界にはそんなものが数えきれないほどある。 でも、 そんなものこそ、「わたしが」やるべきだ。 そのためにも、 いつだって「余白」を残しておくこと。

          はじめる

          夢を抱いた。 目標ができた。 愛情の対象を見つけた。 みなもに水滴が落ちたのなら、そこから波紋が生まれる。 わたしたちは水とは違い、わたしたちから自然に波紋は生まれない。 水滴を受け取ったなら、自ら波を立てる必要がある。 そんな波紋を、 そんな何かを「はじめる」ための最も良い方法は、 それを今「はじめる」ことだ。

          はじめる

          限りなく「正常」に近い「異常」

          限りなく「正常」に近い「異常」が一番危険だ。 梶井基次郎に言わせれば、「檸檬」のふりをした「爆弾」のようなもの。 わたしたちはそれを爆弾だと気づくことができない。 気づいていないだけで、限りなく「正常」に近い「異常」という名の爆弾に囲まれて過ごしている。 「私は爆弾です!みなさん気をつけてください!」 一言そういってもらえれば、爆弾処理班が出動して爆弾そのものも、まわりの人たちも怪我なく過ごせるものだが。 それでも、 われわれはどこか「異常」を抱えているおかげで

          限りなく「正常」に近い「異常」