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道徳科における拡散と収束

本シリーズでは、登場人物の心情理解のみに偏った道徳授業から脱却するために必要な「拡散的思考」と「収束的思考」について私なりの考えを述べて参ります。興味のある方は、シリーズ最後までお読みいただけると幸いです。

1 「○○はどんな気持ちだったでしょう」という発問

少し難しい話になりますが・・・
道徳が教科化になるまで道徳授業では、教えるべき道徳的価値が存在し、それをいかに子どもに伝達するかという視点で授業が行われていました。
そのため、登場人物の行為をもとに「主人公はどんな気持ちでだったでしょう」という発問を連発し、子どもを登場人物に共感・追体験させることで内面的資質を育てようとしてきたのでしょう。
しかし・・・
蓋を開けてみると、教材に書かれている登場人物を表面的に読み取るだけの授業になってしまっていたのです。
つまり、子どもにとってはすでに知っている道徳的価値を改めて言わせるだけの授業になっていたのです。
例えば・・・
教師:勇気を出した主人公はどんな気持ちだったでしょう。
子ども:やってよかった。
教師:やっぱり勇気って大事なんだね。
子ども:はい。
教師:みんなも勇気をしてよかったと思ったことはありますか。
このように、「親切は大切」という分かりきったことを「教えたつもりの教師」と「学んだふりをする子ども」の姿が全国に広がっていったのです。
これでは、子どもはその授業で何を学んだのでしょう。
従来の道徳授業の最大の問題点は、子どもにとって何の学びにもなっていなかったということではないでしょうか。

2 多面的・多角的に考える

そこで文科省も、道徳科の授業方法にメスを入れたのです。
その授業改善の鍵を握るのが「多面的・多角的に考える」というキーワードです。
では、物事を多面的に考えるとは道徳授業にどんな意味があるのでしょう。
例えば・・・
道徳的価値とは異なりますが、「水」を例に挙げて考えてみます。
水を見せられて「これ何ですか」と尋ねられると、ほぼ全員が「水」と答えるでしょう。しかし、多様な観点から見てみると、それは「喉を潤すもの」や「水素と酸素の化合物」、また「生命に必要なもの」などと捉えることもできるのです。
さて、このような多様な観点から考えた後で、改めて水を提示されて「これは何ですか」と聞かれたら、最初のように単純に「水」だと答えることはできないと思いませんか。
つまり、多面的・多角的な観点から考えることで、物事の見方・考え方が広がるのです。
そして、道徳科でも多面的・多角的に考えることは、価値多様化社会においてますます重要になってくるのです。

3 「拡散的思考」とは

話は少し変わりますが・・・
本号のテーマの一つでもある拡散的思考について考えてみます。
拡散的思考とは、自由な発想でどんどんアイデアを膨らませたり、情報を元に様々な視点や観点から考えを巡らせたりする思考の方法です。
私は、拡散的思考と道徳科に必要とされている「多面的・多角的に考える」ということと同一ではないかと考えています。
例えば・・・
「勇気を出すことは大切」と一面的な見方だけをするのではなく、
「本当に勇気は大切なのか」
「危険なことをする勇気は必要ない」
「では、どんな時に勇気って有効なのか」などと、固定概念に捉われる事なく多面的・多角的に考えることで、より本質的な価値理解へと向かうことができるのです。
つまり・・・
道徳科において、拡散的思考は必要不可欠なのです。
では、どのように道徳科の授業で、子どもの拡散的思考を促せばいいのでしょう。
それについては、次号で述べたいと思います。

次号では、「拡散的思考を促す方法」について投稿いたします。
*私のnoteでは、2週間に一度、「道徳科の授業づくり」について書いております。興味のある方はフォローして頂けると幸いです。


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