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『不思議な人』(短編小説)

(あらすじ)
 彼女が愛した人は、ことごとく死んでしまう。友人にそう相談され、心配になった僕だったが、状況は思わぬ方向へむかっていくことに……夫婦にとって相性とは何か?



『不思議な人』 上田焚火

「私が愛した人はことごとく死ぬの、と彼女に言われたら、お前どうする?」

 そう友人に言われて、僕は震えるほど驚いていた。友人は彼女とすでに一年ほどつきあっていて、結婚も考えているようだった。彼女はそこらにいないほどに美しい女性で、友人はぞっこんだったのだ。

 なんて答えていいのか迷った。僕ならすぐに逃げだすに決まっているが、友人はそうではないようだったからだ。

そこで、「なんかの冗談じゃないの?」と僕は言うことにした。

だが、「彼女が嘘を言ってると思うのか」と友人が急に怒りだしたので、慌てて打ち消すように、僕はこう言い変えた。

「いや、彼女を嘘つきよばわりはしてないよ。思うんだけど、彼女は君を試してるんじゃないかな」

 そう言いながら、我ながらいいところに気がついたと思った。きっと彼女は死んでもいいくらいに自分を愛してもらいたいと思っているに違いない。きっとそうだ。よく結婚するには勢いが必要だと言うが、彼女はその勢いを限界まで試しているに違いない。

「試されてるのかな?」
「きっとそうだよ」

 と言った後、もう一つの可能性についても気がついた。だが、そのことは友人に言うつもりはなかった。それは、彼女が友人と別れたがっているということだ。彼女は、友人の気持ちが受け入れられなくて別れたいと思っている。だが、友人がぞっこんなのもよく理解しているから、簡単に別れられない。情熱的な男は、マイナスな方向にも力を発揮する。別れを切り出したあと、友人がストーカーになるかもしれないと思っているのかもしれない。

「でも、俺、ちょっと怖いんだ」

 友人は神妙な面もちで、眼をきょろきょろさせた。どうやら彼女が本気で言っていると思っているようだ。友人の話では、彼女のまわりには、幼少の頃から死がつきまとっていたらしい。母親は彼女が生まれると同時に亡くなっているし、父親も五歳のときに亡くなっていた。彼女はしつけの厳しい祖母に育てられたそうだ。

「でも、そのお婆さんは亡くなっていないんだろ」

「でも祖母は彼女のこと嫌っていて意地悪だったんだ。だから彼女も祖母のことが好きじゃなかったそうだ」

 彼女は高校をでると、すぐに祖母の元を離れて一人で生活するようになった。田舎を離れて東京の郵便局に就職したのだ。そこで彼女は同僚の五つ年上の男と恋に落ちた。それは彼女にとって初めての恋だった。二年ほどつきあい、彼女は男にプロポーズされた。彼女は承諾すると、すぐに彼の両親にあいさつし、式の日取りも決め、新婚旅行はフランスのパリに行くことを決めた。だが、結婚式を控えた一ヶ月前、フィアンセの彼が突然交通事故で亡くなってしまったのだ。彼女はショックでしばらく仕事を休み、その後、郵便局の仕事もやめてしまった。

「偶然じゃないのかな、たまたまフィアンセが交通事故で亡くなっただけじゃないの」

 なんだか不気味な話だった。だが、あまりにも怖がっている友人を励まそうと、僕はそう言ったのだ。

「それだけじゃないんだ。その後も彼女とつきあっていた男たちが次々に亡くなっているんだ」と友人は言う。

 そんな女性がこの世にいるのだろうか、なんだか信じられなかった。

 彼女はその後、友人に誘われて銀座のクラブでホステスとして働き出した。美しいうえに、他人の話を訊くことが異常にうまかった彼女は、半年もすると店で一番の売れっ子になった。そして、上場を控えたIT企業の若い社長が彼女に入れあげた。その男は将来を嘱望されていて、ホステスたちの間でも人気があった。だが、彼女と関係を持ってすぐに進行性の胃ガンが見つかって、三ヶ月後には亡くなってしまったのだ。

「それでもさ、彼女が殺したわけじゃないと思うけど」

「俺もそう思うけど、彼女が死ぬ人間を寄せ集めているようにも感じるんだ」

 友人はいいながら頬をひきつらせて、苦い物を食べた後のような顔をしていた。

 彼女は、その後もホステスをしていたが、誰とも深い関係にはなろうとはしなかった。だが、誰とも関係を持たない寂しさは、彼女から生きる喜びまでも奪ったのだ。それで彼女は猫を飼うことにした。

「もしかして猫まで…」
 僕がそう言うと、友人は頷いた。

友人は獣医をしていて、彼女の猫を診察していたのだ。もちろん獣医としてちゃんとした倫理観を持っている彼は、そのとき彼女をくどいたわけではない。美しい人だとは思っていたが、それ以上の気持ちはなかった。

 その後、彼は趣味のジョギングの最中に彼女に偶然再会したのだ。彼女もジョギングを趣味にしており、何度かすれ違ううちに一緒に走るようになり、その後、つき合うようになったというわけだ。

「でも、どうなの?どこか体の具合がよくないとかあるの?」
 友人は首を振った。
「別にないよ。すこぶる元気だ」

 だが、そう言った友人が、数日後、ジョギングの途中で心筋梗塞になって倒れ、あっけなく亡くなってしまったのだ。あんなに健康に気をつかっていた友人が、三十五歳という若さで亡くなってしまったことに、僕は少なからずショックを受けた。

 これは彼女の呪いなのだろうか。よくわからない。それどころか知りたいとも思わなかった。

 だが、その日、僕のベッドの隣には彼女がいた。シーツからはみ出た細く白い足が、窓からの薄い光でぼんやりと浮かんでいる。なんてことだろうか。友人の葬儀の帰りに彼女と初めて話をして、彼女を慰めているうちに、ずるずると会うようになってしまったのだ。

 きっと飲み過ぎたのだろう。部屋にはワインのボトルが三つ転がっている。彼女の美しさにまいってしまったのだ。

 僕は本当にバカな男だった。自分はきっと近く死ぬだろう。だが一方で、死んでもかまわないとも思っていた。今までだって生きているのか死んでいるのか分からない日々だったのだ。両親は三年前に亡くなっていたし、兄弟もいない。死んでも悲しむ人もいないのだ。仕事もぱっとしない二流商社の営業マンだ。このまま生きてもたかだかしれている。だから、こんな美しい彼女と恋に落ちれるなんて幸運だと思えた。たとえ早く死んでも。

 僕は彼女となんとなく馬があい、気がつくと一緒に住み、結婚していた。いつ死んでも構わないように生命保険にも入った。あっという間に結婚して三年が過ぎた。だが、おかしなことに僕は一行に死ななかった。それどころか子供まで授かったのだ。

 すぐに生まれた子供のことが心配になった。彼女が愛した者はすべて亡くなっているのだ。自分だけが例外で、子供は違うかもしれないと思ったのだ。だが、心配をよそに息子はすくすくと成長し、もう十八歳になろうとしていた。

 彼女とはもう一緒になって二十年になる。不思議だった。僕はすぐに死ぬと思っていたからこそ、毎日を精一杯過ごすことに努められたのだ。毎日沈む夕日さえ、今日が最後だと思うと美しく見えたのは、そのせいだったのだろう。彼女とたくさん旅行にも行った。少しでも多く彼女との思い出をつくりたかったからだ。彼女と喧嘩をすることもなかった。いつ死ぬかもわからないのに、喧嘩している暇などなかったのだ。それは不思議な生活だった。

 ある日、夕食を終えて片づけをしている彼女に、僕は声をかけた。
 思い切って、彼女に話をしてみたのだ。友人が話していたことをそのまま語った。すると、彼女は突然笑い出した。

「ああ、あの話ね。あれ、勤めていたクラブのママから教わったのよ」
「どういうこと?」
「しつこく客につきまとわれたら、そう話しなさいって」
「じゃあ、あれは全部嘘なの。でも、友人は亡くなったじゃないか」
「あれはびっくりした。だから私、少しの間、動揺しちゃったのよ。あんな話をしたから亡くなったんじゃないかと思って」

 でも、なんだか、彼女が本当のことを言っているようには思えなかった。なぜ自分だけが特別だったのだろうか。

「だって、あなたには、そんな話をしてなかったでしょ」
「確かにそうだけど…」
 彼女は僕と別れる気がなかったということらしい。
「でも、知っていたのね。その話を」
「まぁ、そうだけど」
「クラブに勤めているとき、その話をしたら、ほとんどの男が逃げていったのよ。本当に効果があるんだから」

 どの男も命を賭けるほど彼女を好きではなかったのだろう。では、自分はどうかと思うとそれもまた疑問である。

「俺は知ってたけど逃げなかったんだよ」
「あなたは、本当に死んでもいいほど私のことが好きだったのね」

 彼女は冗談を言うように微笑んだ。彼女はいいように勘違いをしているようだが、何も言わないことにした。

「そうかもしれない」
 僕は調子良く言った。すると彼女はまたも微笑んで、こう言ったのだ。
「あなたって本当に不思議な人よね」
「何が?」
「何でもないわ」
「気になるなぁ」
「あなたの存在は、私にだけは特別だってことよ」
 彼女は、長い髪をなびかせて台所に戻って片づけを再開した。

 彼女の最後の言葉はどこか意味深だった。やはり彼女の愛した者はすべて亡くなってしまったのではないだろうか、と僕は思った。

 偶然とはいえ、友人だけでなく、彼女の飼っていた猫も死んだのは確かなのだ。それなのに、なぜ僕だけ死ななかったのだろうか。その答えは、彼女が言った、不思議な人、ということなのだろうか。

 こう考えてはどうだろうか。もしかして彼女の体質というか運命というか、とにかく彼女の持っていた宿命的な何かを、僕が変えてしまったのかもしれない。僕と交わることで中和されたというか、毒が消されたというか。何かしら僕と言う存在が血清のような存在になったのかもしれない。だから自分も息子も死なずに済んだのだろう。この僕の力は他の誰にも作用しない、きっと彼女のためだけの限定に違いない。

本当のところはよくわからない。でも、まぁいい。考えても仕方のないことだ。とにかくこうやって幸せに生きているのだ。そして僕は彼女だけには特別な人であることには変わりないのだから。
 
 

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