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「教養としてのマンガ」(橋下博)を読んだ感想~貸本漫画について
昭和30年ごろの貸本漫画文化や、ビンテージコミックに興味があり「教養としてのマンガ」を読みました。
著者の橋本博さんは面白い経歴の方で、国連の事務総長を目指していたといいます。
国連ではたらくことが難しいが、橋本さんはその手前までたどり着きます。
熊本県庁勤務、退職して西ドイツの国際機関で職を得るのです。
ここで外国人との人事の争いに敗れて日本に戻ります。
元来、マンガ好きだったこともあ
さいとう・たかをが分業制のプロダクションを設立した理由
劇画の第一人者で、「ゴルゴ13」の作者であるさいとう・たかをさん。
プロダクションを設立し、
漫画家で分業制をはじめた第一人者でもあります。
設立は昭和35年。
当時はまだ、漫画は漫画家がひとりで描くもの、
という常識がありました。
さいとう・たかをさんの劇画工房の仲間である、
辰巳ヨシヒロさんや松本正彦さん、佐藤まさあきさんもそうでした。
なぜ、プロダクションを設立して分業制にし
貸本漫画が復刻できない理由
日本全国に30,000店舗あり、庶民の生活にとけこんでいた貸本屋。
2020年、一般の書店は9,000店舗あります。
コンビニは60,000店です。
貸本屋の30,000店舗のすごさがわかりますね。
とくに、子どもたちは貸本マンガのとりこになっていました。
貸本屋の全盛期は昭和35年前後です。
いまから60年ぐらい前の話です。
当時の子どもたちであるいまのお爺さんたちも、
何十年ぶ
赤本漫画の原稿料と出版社の儲けについて
戦後の漫画文化を支えたのは、赤本漫画です。
40万部売れたといわれる、
手塚治虫の「新宝島」(育英出版)も赤本です。
赤本漫画の原稿料と、出版社の儲けについて書きます。
「週刊朝日」(1949年4月24日号)の記事と、
竹内オサムの「戦後マンガ50年史」を参考にしています。
目次漫画家の原稿料
出版社の儲け
まとめ
【漫画家の原稿料】印税方式ではなく、「原稿料」でした。
40万部と