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生活の中に人生がある


「生活の中に人生がある」

なんて、普通逆じゃないかと思われそうだ。

ただ、思い出したのだ。
あの大波をもろに被った経験を。


コロナで大打撃を受け、想像以上の大きな変化が襲ってきた時、その大波をもろに受けて、怖かったし、未来が全く予想できなくなった。

今考えれば、未来が予想できるはずもないのに、わかったつもりでいただけだったのに。

人生に大きな波があろうと、穏やかな波であろうと、その波に一喜一憂するのは、もうたくさんだと思った。

そんな時、あるコラムで「生活は自分でコントロールできる」というような文を見つけた。

今まで生活を大事に、なんて考えたことがなかった。
住む場所や食べるものは、多少気遣っていたものの、生活を整えるということに、関心もなく、かける時間もなかった。

言われてみれば確かに「生活を整えること」は自分でできる。

お茶を丁寧に入れたり、洗濯物をきれいに畳んだり、部屋を床に這いつくばって拭き掃除をしたり・・・

普段、「義務」でやっていたことを、「心を込めて、自分の好きなように整える」ということはやったことがなかった。

自分が住みたい場所への転居をし、毎日の生活の中で、飾った花に癒され、掃除の後に香を炊いたり、毎日太陽に当てた洗濯物を丁寧に畳み、お得なお店で新鮮な野菜や魚を買ってきて好きな料理をした。

やってみれば、家事は私は結構好きだったんだということに気づいた。

さらに気の良い公園に朝ウオーキングにも出かけた。
ここでも深呼吸するだけで、癒され、心身ともに生き返る気がした。

少しづつ少しづつ、生活によって私は回復していったのだ。
最近は、毎日この生活に感謝しているし、感動もしている。
生活の仕方を変えただけで、こんなに世界は違って見えることに。

密かな目標も生まれた。
ただ、最近はそれに没頭しすぎて生活を忘れようとしていた。

だから自分自身に言ったのだ。

「生活の中に人生がある」と。

昨日ある人が半年ぶりにYouTubeを復活させていて、その人がまさに同じことを語っていた。

「夢が叶う、希望通りになることがいいことだと思いがちだけど、実際には毎日の生活の中で、心から満たされ、幸せならば自然と夢は叶っていく。だからこそ大事にするべきは、日々の生活です」

この通りかどうかは覚えていないが、このような意味に私は受け取った。
まさに、私が自分の立て直しのためにしてきたことと同じだった。

生活の中に人生がある。

最近これを忘れかけていたが、大事なことは毎日の自分の生活とそれに伴う気持ち。
今十分に満たされ、幸せだと思える日々を大事にしようと改めて思った。

大掃除も終えた。
窓を開けっぱなしでもいいような、小春日和を通り過ぎて初秋に戻ったかのようなこの日に。

いつでも2024年を迎えられる。
これも、感謝しかない。

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