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実家の断捨離



今年の夏は、なぜか断捨離に再び熱が入り、今まで不可侵としていた、娘の生まれた時からのアルバムにも手をつけ、かなりの枚数の写真を廃棄した。
想定よりは写真を残してしまったが、それでも「不可侵」としていたアルバムを、そうでもないな、と思えただけでも、今後のさらなる断捨離(今の私には必要のなくなった品物に感謝して捨てる、と言う作業)に自信がついた、という意味では、有意義な作業だった。

その「捨てたい、片付けたい欲」は、さらに実家にまで及んだ。

(母にとっては迷惑だったかもしれない)

両親が住むマンションの一部屋だけなのだが、先日父が亡くなったことで、父が使っていたものなどを、一部を除き捨てる必要が出てきたからだ。
その理由とは、仏壇。

仏間スペースを作るために、押し入れをまずは整理し、さらに物置と化していた一部屋を2回分けて断捨離した。

その数、大きなゴミ袋約20袋。
粗大ゴミについては、今後出す予定のものが5つほど。

これをほぼ私一人でやった。

母は、と言うと、昭和前期生まれの人なので、とにかく物を捨てたくない、と言う人。
最初片付けると言うと、嫌がった。
「大変だからいいよ」
と私を気遣って言っていたが、実際には「触れられたくなかった」のだろう。

ただ、今後母が亡くなれば、私と妹が片付けることになる。
妹よりも私の方が片付けは好きなので、私への負担は増える。

と自分勝手な理由もあったが、実家の空気がなんとなく澱んだ感じもしていて、まずはこの部屋を片付けたい、と猛烈に思ったのだ。

もちろん母にも使い勝手が良いようにしよう、とは思っていたが、半ば強引に始めた。

母には「現場監督」として、一つ一つの品物を見せながら、「これはいる?いらない?」と聞いて断捨離を実行した。

そのうちに、母がどうしても捨てられないものがわかってきたし、捨てていいものもわかってきたので、ひたすら捨てるものと残すものを仕分けしながら進めた。
クーラーもない部屋で、窓を開け、ほこりにまみれながら、続けた。
1回目でゴミ袋10袋、2回目でも同じく10袋ほどになった。

その結果、開きにくかったドアがしっかりと開くようになり、床が見えた。
(床が見えない状態だったのだ)

掃除機をかけ、クローゼットにほぼ全てのものが収まり、私はホッとした。
確かに私の自己満足かもしれない。
母がその部屋を見て、今どう思っているのかはわからない。

ただ、母が残したいものは残したので、そんなに不満ではないと思いたい。

私の友人たちからも、両親が亡くなってから自宅の整理をするのに、とても大変な苦労をしているのを、何度か聞いたことがある。
とにかく昭和前期の人たちは、物を捨てていないので物が大量にある。
中には貴重なものもあると思うが、(服を捨てるときには全てポケットを確認した。お札が出てくるかもしれないと思ったからだ。結果的には父の数珠しかなかったけど)
古くなっても捨てられない物があるようで、あまりにも古い場合は「私が新しいもの買ってあげるから」と言って、捨てた服もある。

今回は押し入れとマンションの一室のみだが、それだけでも実家の空気が違ってきたように、私には思える。
母がどう思っているのか、1週間ほど経った今聞いてみようと思っている。

(この投稿の内容自体、母の許可ももらっていないのだが、まあ多分大丈夫だろう)



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