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一生でいちばん優しくなれる一年が /『男コピーライター、育休をとる。』第1話を語る

僕(魚返洋平)の著書『男コピーライター、育休をとる。』がWOWOWでドラマ化され、7月9日から放送・配信がスタートした。
主人公・魚返「洋介」を瀬戸康史さん、妻の「愛子」を瀧内公美さんが演じている。
ノンフィクションエッセイである原作にドラマならではの脚色や創作が加わり、もうひとつの魚返家の話が誕生した。まるで平行世界に転生した自分たちを見るような不思議な感覚だ。

このnoteでは、「原作者 兼 視聴者」の視点で、ドラマの各話に沿って原作(実話)との比較を楽しみつつ、ちょっとした裏話なども話していきたい。ネタバレというほどのものはないけれど、一応、各話を観た後で読まれることを想定しています。

#1 会社を半年、休んでみます

第1話「会社を半年、休んでみます」では、会社員コピーライターである魚返洋介が妻・愛子(演:瀧内公美さん。ちなみに、僕の妻の名前は「愛」も「子」もつかない)の妊娠を知り、育休をとろうと思い立つまでが描かれる。

原作では【第1章 育休を開業しよう】と【第3章 育休への道】に相当するエピソードだ。さらに【第11章 隠れ子ども嫌い】の内容も、設定に活かされている。

主人公の性格が「隠れ子ども嫌い」であることも、そのくせ妻の妊娠を喜ぶことも、実話の通りだ。子ども嫌いなのに、子どもができてうれしい。矛盾しているような矛盾していないような、このリアルに「ちゃっかりしてる」様子は、ドラマでも違和感なく描かれていて嬉しかった。人間、この程度にいい加減なものだとも思う。

ドラマの序盤、友人の子どもの写真に興味がないことを態度で示す洋介。
このシーンで出てくる友人のSNSだが、脚本の初期段階では、正月に届いた「年賀状」を使ってやる予定だった。友人からの年賀状が子どもの写真だらけなことに悪態をつく主人公、というものだ。原作に年賀状の話を書いたので、これを拾ってくださったのだと思う。

この年賀状のオープニングは、めちゃくちゃいいなと思った。キャッチーで、毒もインパクトもある。「年賀状」に対するこういう(ほんとはあまり人に知られたくない)思いは、ひそかに共感してくれる人が多い「あるある」なんじゃないかと思っていて、そんな場面から始まるドラマなら、僕自身ぜひとも観てみたいからだ。

しかし、ある事情によって「年賀状の写真」は「SNSの写真」へと変更になった。季節設定を変える必要が生じたのだ。もともとは、正月からはじまる物語になる想定だった。この設定だと子どもは夏生まれになり、育休の本番が真夏になる。実際、僕の娘コケコ(仮名)も初夏に生まれている。ところが。
今回、生後まもない赤ちゃんたち(複数人)に出演してもらわなくちゃいけないわけですね(赤ちゃんの顔をたくさん見られるのがまた、このドラマの醍醐味でもある)。
真夏の設定での撮影は、最もかよわき俳優である赤ちゃんに負担がかかってしまう。健康への影響が心配される。
そこで季節自体をずらして「秋から春にかけての育休」にしてしまおう。そこから逆算すると(7ヶ月前から物語をはじめたい)、正月からスタートするのは辻褄が合わなくなる。年賀状はやめよう、という判断になったわけだ。

惜しいけど、こればかりは仕方ない!言うまでもなく、赤ちゃんの健康は何にも勝る優先事項ですからね。
でも完成した第1話を見ると、SNS写真の日常的にしょっちゅう目に入ってくる感じが、これはこれで洋介の心地悪さを分かりやすく伝えてくれている気もしました。

架空のコピーを書く仕事

ところで、劇中にはいくつか広告コピーが登場する。すべて架空のコピーではあるのだが、その一部は原作者である僕が今回のドラマ用に書いたものだ。

物語の設定上、主人公の洋介(やその同僚たち)が「素晴らしい傑作コピー」を書ける必要は必ずしもない。ただ、広告のプロとして登場する以上、彼(ら)の書くコピーは、ちゃんとプロが書いたもの、もっともらしいものになっていてほしい。そこにリアリティを感じたい、と思ったのだ。そこで制作チームに申し出て、書かせてもらった。

たとえば、さっき触れた序盤のシーン。
台詞で直接言及はないものの、ここで洋介はどうやら時計メーカーを担当しているらしいことが見てとれる。僕自身は、時計の担当経験はないのだが、今回は担当になったつもりでコピーを書いてみた。と、いま振り返りながら気づいたけど、ああそうか、僕は僕で(舞台裏で)演技していたことになるのかもしれませんね。「なりきる」って意味で。

まず冒頭で、洋介が手にした紙に書かれたキャッチコピー。

過ぎる時より、過ごす時を。

これは「時計メーカーの企業広告として、大きなブランドメッセージを発する場合」を想定して、いかにもそれらしく書いてみた。時間の価値について。
その直後に、もうひとつ。劇中のテレビに映る(洋介がつくった)CMの、決めゼリフ的なコピー(広告用語では「タグライン」と呼んだりもする)も書いた。

いい時間は、つくるものだ。

この劇中CMが、「一流の職人が高級腕時計を組み立てる映像」になることを制作チームから知らされた。そこで、そんなクラフトマンの姿と、メーカーが時計に込めた思想の交わるポイント(という設定ね)を、コピーにしたのだった。

あくまでも結果的にではあるけれど、いずれのコピーも、このあと洋介が過ごすことになる半年間について語っているようにも読めるのが面白い。ああ、ドラマの小道具ってこういうことなんだなあ、と感じました。

恋しくて、キムチラーメン

妻がキムチラーメンを好き、という設定は、ドラマ版独自のものだ。
原作では「夫婦モラトリアム」(僕の造語)を描写する際に、たとえ話のひとつとして「キムチラーメン」という単語が出てくるにすぎなくて、しかもこれは小沢健二の「恋しくて」という曲の歌詞から引用した旨を記している。

お互いのことを 知りすぎたけれど
嫌じゃないよ 今 そう思う
ブドウを食べたり ”キムチラーメン“を
探して 夜遅く出かけた

というのがその歌詞だが、ドラマ版ではなんと「”キムチラーメン”を」求めて「夜遅く出かけ」ることが、そのままひとつの場面になっている!
「夫婦モラトリアム」を象徴するシーンでありながら、そんなモラトリアムがこのラーメン屋の帰りに終わるのもまた劇的だ。普通にいい場面だけれど、これまた結果的かつ間接的に「恋しくて」(なにしろ「ながすぎる春」を回想する歌なのだ)へのオマージュにも見え、僕はひそかに、勝手に、感激した。

コピー研修のリアルとは?

つづいて、新入社員に向けたコピーライティング研修のシーン。
ここで洋介は「講師」を担当しているが、これは僕が会社で毎年のようにやっていることでもある。「男性が育休をとりたくなるコピー」というお題は、10年近く前に実際に出題したことがある。

一生でいちばん優しくなれる一年が、くる。

というコピーも(劇中の表記とは異なるが)、僕が実際に「例」として示したものだ。ただし、新入社員に忌憚なく突っ込まれる、という体験はまだしていない。実際にこうなったら、僕も洋介と同じように焦るだろうな。

このシーンは、新入社員が書いてくるコピーを(脚本で)読んで、僕だったらそれぞれにこんな風にコメントするかな、という「リアルな講評コメント」をあれこれ例示し、台詞づくりの参考にしていただいた。
「自分ごと化してる点はいい」「What to say がない」「ダジャレ以上でも以下でもない」などのダメ出しは、僕が講評でわりと言いそうなことだ。こういう細部も、同業者が見たときにリアリティがあるといいなと思っていた。あ、でも僕はあんなにバッサリ斬らないし、もっと優しくフォローしますよ。

ちなみに「What to say(何を伝えるか)」と「How to say(どう伝えるか)」というのは、広告表現のいわば基礎セオリーとして、新人時代みんなが習う概念だが、この「What to say」はドラマのように英語っぽく発音せず、「ワットトゥーセー」と極めて平板なイントネーションで言うのが一般的である。たとえるなら「やっちまったねえ」と言うのと同じイントネーションですね。なんて細かい話なんだ。

ドラマでは、この研修で新入社員の今泉(演:福地桃子さん)に言われた一言が遠因となって、主人公は育休取得を検討することになる。

僕自身は大学生の頃から育児休業を取りたいと考えていた人間なのだが(詳細はぜひ原作を!)、それだとあんまりドラマチックにならないし、そういう人は少数派すぎて感情移入もしにくい。そんなわけで、ドラマではもっと、ぐっと意識の低い動機付けがなされている。

劇中「育休を取って映画とかいっぱいインプットしたい」みたいな動機を公言する魚返。「わかってないな」と突っ込めるくらいのワキの甘さだが、実際、男性のそんな勘違いはそこら中に転がっているものだろう。
だいたいこういうドラマの主人公は、それぐらい「不純な」動機からスタートしたほうが面白いし、変化の余白も確保できるはず。

というのを、映画・ドラマファンとして僕もよく分かっているつもりだった。育児の話に限らず、これまでいろんな作品でそういう「意識の低い主人公たち」を、愛すべき存在として見てきたじゃないか!
それなのに!

自分をモデルにした主人公となると、そんな観客の視線を忘れがちになり、当初「え、俺こんなに分かってない人になっちゃうの?」と戸惑ったことを、今だから告白しておきます。もっとも僕だって偉そうに言えるほどの目的意識を持っていたわけじゃないのだが。

脚本が出来上がってくるにつれて、自分と主人公を切り離すことができるようになっていった。
「主人公の名前を自分と一字違いにしてはどうか」というアイデアを思いついたおかげでもある。一字だけ違う(一字しか違わない)ことで、原作者としても自分ごととして共感・応援できつつ、同時に自分から切り離せる、ということに気づいたのである。平行世界の自分と、ちょうどいい距離になる。これは発見だった。

カップ牛飯の広告案

社内の企画会議の場面がある。ここで一瞬だけ登場する、

GYU NORMAL はじまる。

というキャンペーンコピーは、洋介の同僚のCMプランナー神林(演:酒井善史さん)の案という設定であり、新人にダサいと一蹴されてしまうものだが、このコピーも僕が書いた。

脚本によれば、商品は家のレンジであたためる「カップ牛飯」。
勝手に想像したのは、牛丼屋クオリティの牛飯をこれからは自宅で食べませんか?そういう習慣をスタンダードにしていきませんか?という提案。そのための合言葉を考えました(by神林)、的なテイでこれを書いた。

もちろん、「GYU NORMAL=牛ノーマル」というのは「ニューノーマル(NEW NORMAL)」をもじっていて、いかにもといえば、いかにも。
ただ、完成したものを観て気づいたんですが、このドラマは「コロナ禍の起きていない」(という設定の)現在の話だったりするわけで、とすればそもそも「ニューノーマル」って言葉じたいが一般的になっているはずもなく、「GYU NORMAL」というパロディが成立しないことに思い至ってちょっと笑いました。ドラマの外側にいる僕たち視聴者は「NEW NORMAL」という言葉を脳内補完できるんですけどね。
このカップ牛飯については、コピーの別案として、

#家ギューしよう
牛丼は好きだけど、
牛丼屋は苦手でした。

なども用意していた。それっぽいですよね。ハッシュタグとか。

さて、ついに育休を取ると決めた洋介だが、続きは第2話で。

(つづく)
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