見出し画像

頑張ってきた私

少し前にInstagramにも投稿した内容だけど、自分の中で大切なことなので備忘録としてこちらにも残しておこうと思います。

--

この間、瞑想中に「頑張ってきたじゃん」という言葉がふと湧いてきた。


泣きたいわけでもなく、なんとも言えぬ気持ちだったんだけど、

私は私にわかってほしかったのかなちゃんと認めてほしかったのかな、って直感的に思った。

この数年間、常にどこかに不安を抱えながら身体の不調や心の不調に向き合ってきた。予期不安っていうのかな?またあぁなるんじゃないか、っていう不安がとにかく長かったんですよね。心の不調に陥ってから、と考えると6年くらいかな。

その6年の間、ずっと辛かったわけではなく、徐々に上がり始めていたし、日常生活も遊びも趣味もしながら普通に生活してはいたのだけれど。

でも、常にこの不安感っていうのは一緒にいたんですよね。一歩出したいし今の自分を変えたいし思うに行動したいなっていう想いは持ちながら。

その辺の心境については過去に書いたこちらの記事からも。


そして去年の初夏からこの1年は、自分を生きたい、自信を取り戻したい、自分を知りたいっていう想いを、意を決して行動に移したわけです。なかば勢い任せで。

NLPコーチング、アーユルヴェーダ、レイキヒーリング。心の赴くままに学びを進め、新たな実践をしながら日常の中で沢山自分にも向き合って、ありがたい出会いにも沢山恵まれて、なんだか随分と楽になったなぁっていうのと、心と身体がより安定してきた感覚もあって。

今まで握りしめていたような力みが抜け、過ごしたいように過ごす時間が増え、ゆるりと心地よくいられる時間が増え、生きやすさを感じるようになった。

そして、長い間共にいた不安感も、以前に比べ、ぐっと存在感が薄れてそれ自体を忘れるくらいになってきたし、例えまた感じたとしても、大丈夫、と自分に対して受け入れてあげる気持ちがあるという変化も感じている。

(またなったら嫌だ、なったらダメ、そういう気持ちが余計にプレッシャーにもなるからね)

今あるものに目を向け、幸せな瞬間に気が付いてみたり、瞑想や祈りをする日常の中で、愛や感謝というものにも意識が向くようにもなっている。

生きている限り旅の途中ではあるけれど、ここまで歩んできた過程や日々を、まず、よくやったね、頑張ってきたんだね、って褒めて労わってあげることを私自身が求めていたのかな?って、湧き上がった言葉を受けて思いました。

変わりたいと思って行動した1年前、もっと言うと不調が始まった8年前、こういう今の状況、自分を想像していたかなぁ?


そして感じたことがもうひとつ。

「頑張ってきたじゃん」と同時に「全部自分の為だったんだ」ということ。

学びはもちろん誰かのためというよりまず自分自身のために始めたものであったけれど、好きなことで一歩出して人にシェアできるようになりたい、という想いと同時に、将来の経済的な不安を減らすための副業としての考えも私は持っていたと思う。

そういう色んな考えをもった上で時間とお金とエネルギーをそこにかけることにGoサインを送った自分もいたのだと。

でも、学びを終えて日常生活で実践しながら自分と日々向き合い続けていく中で先日、「NLPもアーユルヴェーダもレイキも、何より私自身が今の自分にたどり着くための、ひとつひとつがやっぱり自分自身のための道だったんだ」ということを腹から感じたんですよね。

自分を知る術(方法)が増えて、心と身体(の乱れ)を整えること、自然と調和して自分に優しく接して生きていくこと。そして乱れた時には自分で自分を癒すことができること。(セルフヒーリングが出来る安心感は絶大)

しなきゃ、~べき、を沢山持っていた私、不安を持ち続け、自信をなくし、新しい扉を開けることに躊躇し続けてきた私が、役割や立場という鎧を一旦置いて、私という1人の人間として心の声に従おうとする今のあり方。

ぜんぶぜーんぶ、私がまた前を向いて私自身を生きていくエネルギーを備えるためのステップでありツールだったんじゃない?

そんな風に感じて、それが自分の中でスンとしっくりきたんです。


辛いとかしんどいっていうのは見ないようにしたり、そんなことないって否定したり自分自身に隠したりもしたくなるもので。

でも身体や心が元気が出ない、思うように動けない、いつ回復するのか出口も見えないというのはやっぱりしんどいし、挫折や父との別れもあって、私は確実に辛かったのだと思う。

自律神経を失調して日ごとに症状が変わるし、鉛みたいに重たい身体が怖いし、パソコンを見ると文字が浮き出てくるし、目のピントも合わない日々が続いた(後にこれは浮遊性の眩暈なのだと知った)

IT企業でその恩恵を駆使した環境で仕事をしてるのにパソコンを見れなくなる日が来るなんて。パソコン使う仕事ができなくなるなんて考えたこともなかったし、未来も不安になった。

出先での動機やソワソワも経験して怖くてしばらく電車に乗ることも控えたし、エネルギーが湧かないし明らかに足りない枯渇感。自分の身体がなんだかおかしくなっていってる感覚と心が深いところへ転がり落ちていくような感覚、症状は治まってきても付きまとう不安な気持ち。

1ミリも想像したことがなかったような自分にショックと戸惑いの日々。

多分重い症状としては数か月だと思うのだけど、ずるずると不定愁訴と不安を抱えながら自分が本当に望むように生きられていないような数年間は私にはすごく長く感じたなぁ。

(今となってはこれもすべて必要な経験でプロセスであったし、おかげ様で出会えた全てに感謝、と思えているのですが♩)


そんな風に不調に陥ってしまうような時、なんで?なんで?の原因解明や改善もそうだけれど、

辛い、という気持ちもひとつの正直な感情としてちゃんと感じてわかってあげたいよね、と今は思います。

あの人はもっと頑張ってるし、あの人の方がもっと大変な状況だし・・

感情や状況、何であっても、その強度を人と比べるものではないし、

そういう風に自分の感情や状況を受け止めてあげずに誤魔化して見て見ぬふりをすることは、いつまでたってもゴールが見えないマラソンのようでもあり、何をしても褒めてもらえない子どもの心境のようでもあると思う。

自分がしんどいと思ったらしんどいんですよね。自分が頑張ったと思ったら頑張ったんです。

どんな感情を抱く自分だって愛おしく大切な自分であることには変わりない。


だから。

試行錯誤の日々を含めて、あなたは良くやってきたし頑張ってきたんだよ、わかってね。

そう言われているのかな?と感じたこの気持ちや私自身からのメッセージもスッとピュアに受け止めたいなって思います。

それがまた自分にはとても意味があることのように思うから。


••••••

⁡ Instagram↓↓↓


自分らしく 心地よく 心豊かに生きるには🕊
•Ayurveda 心と身体 暮らし 頭の中
•ご機嫌でいるマインド&ライフスタイル 

を発信中


暮らしのヒトコマを
ストーリーで日々更新しています💫


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?