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土用土用って…

の後に続く言葉。
あなたの中では何でしたか?

土用土用って
うるさいねん!養生しなきゃならんのやろ!
また、土用かぁ。なんかめんどう〜
はぁ…落ち込む…

いつの間にか、土用が厄介者になっている気がする…

と、いうことで、
五行(木火土金水)では、土の私が、土(土用)偏愛を語りたいと思います。

厄介者イメージになっているのは、
・次の季節の準備期間
 →本番じゃない
・前の季節のツケがまわってきて体調を崩す
 →体調不良は誰でも嫌よね
・そのために、冷たいものを食べるな、食べ過ぎるな、頭使いすぎるな、ちゃんとお風呂に浸かれ、夜はちゃんと寝なさい…
・それに加えて、新しいことするな、土いじりしちゃだめ、引っ越しもだめ
・あれもするなこれもするな、あれはしろ、これはしろ

→ナニドヨウッテ?オイシイノ?

ってところでしょうか。

確かに、こうやって書くと、そりゃ休めって言われてるのにやることモリモリあるやん!みたいに見えて、なんかためいきというのも分かります。

そういう時は、ちょっと見方を変えてみます。

春夏秋冬と土用。
季節を五行でとらえます。

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春は木、夏は火、秋は金、冬は水、そして、土用が土に当てはまります。

こうやって視点を上げることを「視座をあげる」と言います。

木は樹木や草花
火は火山や灯火
金は刀や鉱物
水は水や氷
土は大地 です。

五行には、それぞれに性質というものが与えられています。
土の偏愛なので、土のことだけ。

土の性質は「稼穡」(かしょく)
稼とは、種を蒔くこと
穡とは、それを収穫すること

土の役割は、種を寒い季節の間、そっと抱き、芽と共に根が出ると、あっちいけ、こっちいけと根っこに追いやられ、養分と水分を植物に渡す。
どんどん植物が大きくなり、実をつけ、やがて朽ち、落ちた種をまた春まで抱く。

もし、そこで命が終わってしまって、土の上に倒れたとしても、土の中の微生物たちによって、土への分解される。
植物も、虫も、動物も、私たち人間も。

そうして肥やされた土の養分は、また、生きとし生けるものへと受け渡されていく。

土って、そういう存在です。

でもね、だまーってるの。
オレ!こんなことしてるよ!!って言わないの。土。

植物はアピールするよ。
芽が出たよ、ほら!
みてみてー茎を伸ばすよー
クルクル巻いてみようかしら
花!花咲いたって!甘い香り届けちゃおうかな!
ほら、甘い実がなった!食べる?食べるよね?

…めっちゃおしゃべり。(大好き)

でも、土は言わない。
ただ、そこにというか、私たちの足元でじっとしてくれています。
(たまに主張してくるのが地震って捉えるのが易。面白くない!?土がアピールした形が山ね。面白いでしょ!!)

言わないのに、全ての命を支えているのが「土」なのです。

もうひとつ視座を上げると、大地というのは、つまり、地球のことでもあります。
地球がなければ、生きとし生けるもの…という話でもなくなりますよね。

土の性質、役割は伝わったでしょうか…

そして、ここで視座を季節に戻します。

土の季節は土用。
養生。生きる力を養うと書いてます。
養うって育むってこと。

旬に、はしり、さかり、なごりがあるように、季節にもあります。

ただ、季節の盛りから名残は、厳しいことが多い。
暑さ寒さ、乾燥湿度。
そういう厳しい時にも乗り越えられるような力を持っておくための土用という準備期間。
植物も日照りが続いたりしても、意外としぶとかったりしませんか?
ヘナヘナになっても、お水あげたら、シャキーン!!って生き返ってる!!みたいな。
それは、普段から蓄えてるから、力を。

私たちもそれと同じ。
蓄える期間がいるってこと。

あと、土用の時、土の神様の話をよく聞くと思います。

土いじりや新居を建てたり、移転したりは向いてないよ。
土公神(どくうじん)様がいらっしゃるから。
という話。

これもね、土の性質で考えるとしっくりきます。(私は。)
土は、生きとし生けるものを乗せ、ただ静かにその役割を全うしてくれています。
その恩恵を受けているのが、私たちです。

土は、自分で動いたり、どこかへ行ったりしませんよね。
じっとそこにいてくれるから、安心感がある。
足元が揺らがないでいてくれるから、私たちは大地に立て、家を建てたり、新幹線を走らせたりしている。

そんな土の神様。
踊り狂ってると思いますか?
多分、静かーに、ちーんとして、座って見守ってくださってると思いませんか?

(踊ってるのは、火かな。夏祭りって派手じゃない!)

その神様の気が盛んになる土用に、わざわざ、揺り動かして起こしたり、掘ったり、なんだり。
私が神様だったら、と想像すると、静かに過ごしたいよなぁ。と思うわけです。

でもね、無視されるのはみんな嫌。
いつもいつも黙って支えてくれている土に、いつもよりほんの少しでも、ありがとうって思って過ごしてみる。
当たり前って、慣れると見落としがちですから。

芋掘りして、その恵みに触れて、美味しい!って感じてみる。
駅までの歩く道のり、一歩一歩噛み締めてみる。

些細なこと、というか、暮らしの中にしかないんじゃないかなと思います、こういうこと。

だって、土の時。土台の時ですから。
私たちの生きる土台は暮らしにあります。

ハレの日、ケの日という言葉がありますが、圧倒的にケの日が多いはず。
暮らしの積み重ねの中に、節目というハレの日がやってくる。
だからこそ、揺らがない土台、暮らしの中の当たり前にも時々、目を向けるときがあってもいい。


あれ食べたらいいよ、これしたらいいよ
あれしないほうがいいよ、これ食べないほうがいいよ

養生、漢方的食生活、いくらでも語れて、楽しいし、ツールとして土用を過ごすのもとってもいいけれど、
うきこ的五行における土用の解釈も面白いなと思ってもらえたら嬉しいです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

ありがとうございます!