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結婚しなくても幸せになれる時代に

 私の結婚記念日はいつだろう。婚姻届を出した日と捉えるのが一般的だが、婚姻届の出し方にもいくつかバリエーションがある。婚姻届はどこの役所にいつ提出しても良いものなのだが、本籍地でない場合戸籍謄本が必要になる。私は戸籍謄本を取り寄せる手間を省くために居住地でなく本籍地に婚姻届を提出した。加えて土日に提出したから婚姻届を提出した日と、本籍地の役所で受理された日と、そこから居住地に転送されて住民票が作られる日とそれぞれタイムラグができてしまった。もうこうなると結婚記念日なんて「フィーリングだな」と思えてくる。
 あの『ゼクシィ』ですら「結婚しなくても幸せになれる時代に」なんて言い出す時代に結婚したわけです。『逃げ恥』をリスペクトしているので選択的夫婦別姓が実現するまで入籍しないんじゃないかと自分でも思っていたんだけどね! だからこそあえて言うと、愛した人の名前で自分が呼ばれるようになるというのはなんとも面白く、快いものでした。でも改姓手続きは果てしなく、覚悟して役所に行ったけど滞在時間は2時間20分くらいかかりました。まだ変更しそびれているところもたくさんあるので、最低限困らない範囲で改姓するにしてもかなり時間がかかる。仮にすべての日本人が日本で結婚するとして、半分の人間しか改姓手続きの大変さを経験しないのだから不思議だね。選択的夫婦別姓がはやく実現すればいいのに。
 他方、重婚や同性婚も認められればいいのにと切に思う。重婚が認められれば不倫だとか不貞行為だとかってことでモメなくならないかな。”不倫”ってそもそも「倫理ではない」って言葉なのだから、ロンダリングワードな気がする。重要なのは当事者間の合意なく関係するというところであって、人数の問題ではないのでは。多様性が認められる世の中になるなら、ポリアモラスに生きる人もいたっていいのに。少なくとも私はたくさん愛されてきたから、私もたくさん愛せる気がする。
 制度としての結婚は財産とか戸籍とかを管理する上で便利だとは思う。でも自分のルーツだって曖昧だし、大好きな人たちに大好きって言って何か悪いことがあるのだろうか。結局は体が一つしかないということに尽きる。両手で抱きしめられるのは一人ずつが限界ならば、イップイップで一人の人を愛せってことなのだろう。最近九つ子が生まれたとかって記事を見かけた気がした。望外に家族が増えすぎてしまったとき、親はパートナーと子どもたちの中から任意に選んだ1名だけしか愛せないものなのだろうか。

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