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ぼうさいのはなし~防災に興味を持ったきっかけ編~

みなさん防災と聞いた時なにを思い浮かべますか?


どうも、しもおかです。

何度かこれまでのnoteでは、防災を熱心に学んできた感じを感じ取ってくださったかたがいるのではないかと思います。

これまで私は、ほかの勉強はそっちのけで防災の力を入れて勉強・活動してきました。

今日は振り返りも込めてなぜ、私が防災に興味をもってここまで、パッションをもってやってきているかを書き綴っていきたいと思います。


まず、災害を知ったのが

2011年の3月11日


あの日は忘れもしません。中学2年生、生徒会の副会長だった私は、次の日の卒業式に向けて、学生会として準備を行っていました。

卒業式らしく、紙の花を作って、黒板をデコレーションして…来年は自分たちも卒業なんだな…なんて思っていました。


コツコツ明日に向けての準備を行っていた矢先、突然、町内のサイレンが鳴りだしました。これまで聞いたことないような、不吉なサイレンで、こんなに天気もいいのに、またその違和感で私の胸は不安でいっぱいになりました。


中学生でこれまで大きな災害(芸予地震がありましたが、小さいころのことであまり記憶になく…)に遭ったことがなかった私は、知識も対処法も知らず…、どうしたいいかわからず、不安でいっぱいでした。その時、廊下を当時社会科の先生が通りかかりました。『先生なら日本のことを知っているはずだ!!』と思い、先生に話かけ、どのような状況なのか、自分たちは大丈夫なのか、すごい勢いで聞きました。

『大きな地震が起きたけど、ここまで大きな津波が来ることはないよ』

そういってもらい、これまでの不安は少し落ち着きました。

そこから、生徒会の作業が終わり、家に帰ると…


東北のほうが大変なことになっているらしい。


ニュースは、速報ばかりで、現地の被害が報道されていました。種類のたくさんあったCMは、ACジャパンだけになり、繰り返される報道と、そのCMにどんどん日本に異常なことが起きたことの認識できたと思います。


当時好きだったNYC boys(山田涼介くんのファンだった)にも関らず、その週の金曜日のMステはなくなり、見れなかったことも覚えています。

3月11日当日は、あまりよく眠れず、映像の津波が怖かった、そして何もできない自分、何も知らない自分の無力さを思い知らされた夜でした。


次の日、卒業式は通常通り行われましたが、式の最初に東北への黙とうが行われました。その時、私たちはこの日を迎えられているが、東北のみなさんはどうしているんだろうか…そう思うと胸が苦しくなり、先輩が卒業するより、何もできなかった自分が悔しくて静かに泣きました。

そこから、生徒会として募金を開始したり、何かじぶんのできることを、と考え行動しました。


また、同時に『じぶんの周りがあのような事態になったときには、じぶんはじぶんを守れるのか。そして、じぶんの大切なひとを守れるのか』と考えるようになりました。そのためには、私はもっと知識や経験が必要だし、それを広める活動をしなければならないと思いました。


防災に出会ったのはそのころでした。


何もかもなくなったまちをニュースで見たときは、胸が痛くなりました。しかし、その場所にいる方の気持ちは計り知れないほどの感情だったと思います。また、絶対にこの場をいつか訪れなければならない気がしました。(2019年にそれは達成します)

しかし、同時に日ごろ気づくことのできなかったものに気づくことにもできました。それは、普段何気なく利用している、土木構造物です。

トンネルや、橋、道路…これは私たちの生活の縁の下の力持ちで、それが破壊されたその時、始めて土木のちからに気づかされました。


そこから私は、土木に関心を持ち始め、それを比較的若い年齢から学ぶことができる『高専への進学』の道を決めました。


ここまでが、私のぼうさいに興味を持ったはなしになります。


今日までその気持ちを忘れずに、いろんな方に支えられながら、防災に携わることができています。このnoteでも『ぼうさいのはなし』をこれからもしていきたいと思います。


こうやって、振り返りnoteもいいですね。これからも、これまでのじぶんを振り返りながら、その時のじぶんを信じてあげて、これから行動していきたいと改めて思いました。







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