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僕たちは菅田将暉になれなかった。『花束みたいな恋をした』から見る、最終兵器彼女有村架純について

2020年 夏。

「寝てる?」
そう思いながら、自分はリモコンのスイッチを押した。
まぁ、そうだよな、君はこの映画の結末とか興味ないよな。
「なんで消すの?」
「いや、寝てたから」
「見てた」

それから、2週間後、僕と彼女は、恋人から会社の同僚という、元の関係に戻った。

✳︎

恋人と映画を一緒に見る。
日本のカップルが当たり前のように行ってる行為。
そこに重きがあるのかないのか置いといて、とりあえず映画でも行くか、それが男という、短絡的な生き物。そのくせこだわりが強かったりする。

『花束みたいな恋をした』

そんな、とりあえず映画でも行こうか?
と、予告を見てなんとなく彼女が見たそうだからと、選んだデートムービーは、ありとあらゆる恋人を煉獄に叩き落とす、邦画史に残るウルトラ大恋愛ムービー。

出演
菅田将暉
有村架純
脚本
坂本裕二
監督土井裕泰

あらすじ

駅で終電を逃したことをきっかけに出会った麦と絹。お互いに音楽の好みや趣味が同じことを知り、すぐに恋に落ちる。大学を卒業してフリーターをしながら同棲生活をスタートさせ、日々変化する環境の中で日常を共有しながら大切に過ごしていた。この2人での生活を続けるために、就職活動に励んでいく。
『花束みたいな恋をした』

去年、1番流行った恋愛映画を今になって、どうして書きたくなったかというと、当時、一緒に見に行った恋人との1年間を過ごして、自分の恋愛観も少しずつ変わりつつあると感じてきたからである。

まず、ヒロイン。有村架純が演じる、絹という人物について。

とにかく、有村架純が、物凄くかわいいという、要素は絶対的なんだけど、まぁまず、個人的に実はすごい好きなところが、彼女の服装なんですね。

『花束みたいな恋をした』

オレンジのダッフルコートが似合う女子は好き。というか、そんな女子はほとんど存在しないけど。
抱きしめながら、ちょっと太ったなんていうのは、広瀬香美の歌詞の中だけでいい。

『花束みたいな恋をした』

コートを脱ぐと、チェック系のふわっとした服装。
男子、みんなこれ好き。変に身体のラインが目立つ服より、可愛い女の子が着るチェック最強&最高。そして、この場面で歌う、きのこ帝国のクロノスタシス。
ごめん、好き。

コンビニエンスストアで
350mlの缶ビール買って
きみと夜の散歩
時計の針は0時を差してる
きのこ帝国 - クロノスタシス
『花束みたいな恋をした』

うん、ごめん、家ではんてん来てる女子、出会ったことある?ないよね?
ああ、ごめん、僕が初めて付き合った彼女が着てました。ごめんね、愛おしくってごめんね。
因みに、家で、はんてん来てる女子と付き合ったら、一生、初恋に恋をし続けるので、本当におすすめしません。

『花束みたいな恋をした』

ちなみに、自分がこの映画で1番好きなカットはここ。すごく変態的で申し訳ないけど、有村架純に黒タイツを装備させる日常的反則技と足裏まで見えちゃうこのカット。
足の裏って、特別な関係じゃないと、見れないんですよ、いや、この靴を脱ぐタイプの居酒屋をチョイスしたの、絶対このシーンのためでしょなんてことを思う。

まぁ、この後、この映画では、あっさりと、有村架純演じる、絹は、もう、小松菜奈の旦那である菅田将暉の演じる麦くんのお家でお泊まり。
いや、この展開の速さは、運命を感じちゃってる証拠ですよね。女の子の、この人だって決めたときの、行動力の速さ凄い。

この映画の冒頭の名シーンは、焼きおにぎりのシーンと勝手に思ってる。
だって、自分が作った男子メシの中で実は手のかかる焼きおにぎりを、美味しそうに、しかも2個も頬張る姿は、あぁ、反則なのである。
因みに、その日、出会った女性の髪をドライヤーで乾かすのは、菅田将暉だからできる技で、僕たちには無理です。

とまぁ、まず、この絹ちゃんの圧倒的な男子殺し、ファッションセンスは、現代女子の、Instagramが歩いてるみたいな彼女たちより、どこか、手の届きやすさと、居心地の良さに、男はイチコロである(古い)

じゃ、次は、有村架純が演じる絹ちゃんの内面的センスの良さについて。

「彼は電車に揺られていたらと言った」
『花束みたいな恋をした』

絹ちゃんのこの感覚、とても良くて、そんな些細なことを気にする感性をお持ちの女性って、この世界に存在するの?と思いながら、この一文だけで、彼女の人格がよく現れてる。
あぁ、この子の感覚って、きっと見えてる世界観が尾崎世界観的な。
そんな運命の人。

「こういうコミュニケーションは頻繁にしたい方です。」
『花束みたいな恋をした』

告白された、帰り道、押しボタン式信号の作り出すときめきハッピータイム。たまらなくなって、絹にキスする麦くん。いや、麦くんすごい、完璧なタイミングでキスするよね、押しボタン式信号。最高な瞬間である。
でさ、この宣言。私はこういう恋愛的コミニュケーションはしっかりするので、たくさん、しましょうねとはっきり宣言。
これさ、男からすると一見最高に思えるけど、実はちゃんとしろよって脅迫でもあるわけですよ。付き合いたては、当たり前にするけど、時間が経てば雑くなる男へ、先制パンチ。

「女の子に花の名前を教わると、男の子はその花を見るたびに一生その子のことを思い出しちゃうんだって。」
『花束みたいな恋をした』

この映画の核心的セリフ。
昔から、女の恋は上書き保存。男の恋は名前をつけて保存という言葉があるけど、結局、この考え方って、完全に正解だと思ってる。
とまぁ、女性からすれば、なに言ってんのコイツってなるんだけど、男ってのは、兎にも角にも、愛する女性の1番になりたがる。
これなぜかって、一般的な男という生き物は、母親から、1番の愛を注がれ、生きている。この愛情を受けなくて、おかしくなった代表的な男が、シャア・アズナブルである。

とまぁ、それを、幼少期から知ってるもんだから、タチが悪い。
自分を愛した恋人=世界一、自分を愛してくれた人なのだ。

だから、その恋愛に終わりがきても、いつになっても、あの子は、自分を愛してやまなかった、思い出を肴に飲めてしまう。
おそらく、その恋人はもう自分のことを忘れていても。
これを、呪いと考えるか、幸福と考えるか、そこら辺は男の価値観だから、なんとも言えないけど、未だにはんてんを着てたあの姿をたまに思い出すような脳みその作りになってる自分からすれば、呪いなんだろう。

だから、絹はあの花の名前を教えなかった。
呪いをかけたくなかったのだ。
絹ちゃんは、サブカル大好き趣味合う彼氏最高と思いながら、圧倒的な大人女子の一面も見えるシーン。

ということで、有村架純、演じる絹ちゃんは魅力たっぷり。
じゃ、この菅田将暉演じる麦くんの存在。

そう、この麦くん、マジでこれ、やばいやつ。

付き合って、2年、この男。就職が決まってから、部屋のベランダで、ワインを片手にこんなこと言う。

『花束みたいな恋をした』
僕の人生の目標は絹ちゃんとの現状維持です
『花束みたいな恋をした』

これ、劇場で見ながら、最低って言いそうになった。
これ、現状維持でいいと思えるのが、この菅田将暉演じる麦くんの正体なんですよ。
悪い男じゃない、むしろいい男。
とはいえ、電車で揺られてるなんて、表現してたけど、いつのまにか、すぐ「じゃ」っていうし、社会に出たら、仕事の話。見たかった舞台の話もうろ覚え。
この、ワイン片手に現状維持宣言から、突如として、「サブカル紳士身体の相性ぴったり選手権顔も濃ゆすぎない爽やか男子」から、「なんだ普通の男選手権1位入選」に転がってしまう。
これ、僕たちも菅田将暉になれるのでは、と思わせる引っ掛けであることをまだ知らない。

で、今作の絶望あふれるシーンは。
クリスマスに、2人で映画を見に行くところ

『花束みたいな恋をした』

もう、この時点で、2人の価値観が壊れかけている証拠。
現状維持の麦と、出会ったころのときめきをずっと保ちたい絹。

昔、仲が良かった女友達が、3年近く付き合った彼氏を振ったときに、言った言葉が
「恋が愛に変わっちゃった」
である。若い、とても若い。
そもそも、恋愛って読んで字のごとく、恋から愛に変わって成立するものなのに、この頃の絹ちゃんも、あの女友達も、まだ恋を求めていたのだ。

そう、出会ったときめきを忘れずに。

少し、息抜きに絹ちゃんは浮気したのか、浮気してないのかという考察。

「正直さ、1回くらいは浮気したことあったでしょ?」
「浮気?え?あるの?」
「なかった?」
「え?普通にないけど」
「ふーん」
「…え?」
『花束みたいな恋をした』

個人的には、してないと思ってる。
怪しいシーンは確かに終盤にあるんだけど、この絹ちゃんという人物が、とてもいいと思うのは、次の恋人選びをしてないところだと思っていて、最後の最後まで、彼女は彼女なりに、この関係をできる限り最高の形を目指していた。
そもそも、浮気したことのある人間はこの話題を振らないと思う。
ただ、もし、麦くんが「浮気……したことあるよ」って言っていたら、絹ちゃんも、私も「……1回だけ」って嘘つくような、子なんだろなと思う。
それが、この子の、どうしようもなく、男の理想的なヒロイン、最終兵器彼女麦、いや最終兵器彼女有村架純。なんでしょう。

この映画、非常によく作り込まれてるのは、絹のモノローグで、語られる『シン・ゴジラ』や新海誠、ゼルダなどの、その時々のコンテンツである。SMAPが解散しなかった未来、きのこ帝国が解散しなかった未来。
アラサー世代の自分たちに突き刺さるような仕組み作り、平成から令和にかけて、花束のように咲き誇るあの日々の楽しさ。
それは、絶対に戻れない。

物語の終盤、2人は思い出のファミレスに訪れる。
1番好きだった頃の、1番自分のことを愛せてた頃、1番幸せだった頃。
人生の幸せは、200円のフリードリンクで買えてしまうことを知った、あの日々にはもう戻れない。

『花束みたいな恋をした』

隣に座っていた、彼女は、この別れるシーンで、大号泣しながら、見ていた。
というか、劇場の女性たちは、ほとんど涙を流していた。
ここで、泣けないのが男という生き物なのだ。
そのくせ、菅田将暉演じる麦くんは泣いてる。

これ、わざとやってると思う。
この映画を見るターゲットは間違いなく、カップルで、別れるシーンで、麦くんを泣かせないという演出もできた。
なのに、泣かせる。劇場にいる男子は泣けない。
この対比である。

これ、見終わった後に、「あのシーン、めちゃ泣けた」という彼女と、「そうね」という、相槌をうつ、彼氏が想像できる。
因みに、ダメージがでかいのは圧倒的に男なのだが、このシーンで泣けないのが、ありとあらゆる男が菅田将暉にはなれない証拠なのだ。

素直に涙を流せやしないくせに、彼女が好きだった映画の名前も、使っていたシャンプーの匂いも、2人でよく行ったカラオケも、君が歌ってくれた特別な歌の名前も、味見してないからと言って作ってくれた、きゅうりの酢の物の味も全て、全て覚えている。

麦くんはこの恋愛を、この恋愛中に成仏させた。名前をつけて保存ではなく、アップデートさせた、この日々に名前をつけるなら

花束みたいな恋。をした。

これ、現在進行系の、INGな恋愛を、成仏させるのって、普通の男子はできないんですよ、それができる、僕たちは菅田将暉なれなかった。

そして、この映画のグッとくるラストシーン。

『花束みたいな恋をした』

むしろ、ここで、自分は涙を流しちゃう。ストリートビューで2人の思い出が生きているところ。この映画を、傑作にした、究極のラストシーンなのである。
どこまでも、ずっと、2人の関係はどこかで、種となって埋まっている。たとえ、花は咲かなくても、そんな、ほんの少しの奇跡があれば、人は何となくでも生きていける。
このちょっと、邦画というより、洋画チックな、ぼやっとしたラストシーンがたまらなく好きなのである。それを、見て笑っていた麦くんは、思い出のファミレスで、あの恋をしっかり成仏していたことの証明であり、いつまでも、あの恋を忘れらない男たちへの挽歌でもある。

✳︎

2022年 冬

「寝てる?」
そう思いながら、自分は彼女の鼻を押した。
「ううう」
「ねぼすけ」
「起きてる」
「いい映画だったのに」
「う……う」
「また、寝てんじゃん」

まぁ、いいか。

数えきれないほどの花束を抱えながら、生きている。
その花の匂いを嗅ぐたびに、人は、ほんの少しだけ前に進めるのだ。



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