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人格の文脈(過去の記憶)

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記事一覧

色合いの世界

僕は生まれつき、色の見え方が人と違うらしいのです。いわゆる「色弱」なんです。 ***** 小学生のとき、色覚検査というものを受けて、自分が色弱であることを知りました。 色覚検査、やったことございますでしょうか? カラフルな「つぶつぶモザイク模様」を見て、色の違いで浮かび上がる数字を読み取るあのテストです。色の違いを識別できれば、問題なく数字が見えるようになっています。 当時、同級生のみんなは、「8」とか「12」とか、浮かび上がる数字が読めていましたが、僕にはどうして

再燃

「バスケットは好きですか?」 正直言うと、少し気持ちが離れてた時期がある。あれほどまでに好きで、夢中になって、ずっと追いかけていたのに。 ***** きっかけは、小学生のとき。放課後の校庭でメガネをかけた6年生が1人でシュートを打っていた。 僕は、彼が持っていたバスケットボールに魅せられた。水色と紺色のツートンカラーがカッコよかった。 メガネの6年生に近づくと、彼は僕にバスケットを教えてくれた。こんなにバスケが楽しいとは思わなかった。 それから毎日のように、放課後

裏拍のリズム

季節は冬。空は灰色に曇り、木々は枯れている。 まるで水墨画の世界のように色はなく、見ているだけで「切なさ」が溢れだす。 そんな印象のCDジャケット。 ジャズピアニスト「ビル・エヴァンス」の「You must Believe In Spring」というアルバム。 儚くて美しいピアノの音色に魅了された。響いてくる「悲しみ」と「切なさ」に惹かれた。 14歳のときだった。 ***** 中二病におかされた僕は、ある日、男女のグループデートに誘われた。 晴れた日に公園に行

じいちゃんと僕の遊び

「今日は、じいちゃんと遊んでおいで。」 そう言われて、じいちゃんがまともに遊んでくれた記憶はない。 じいちゃんは、僕と2人になると、決まって同じ場所へ連れて行った。 ***** じいちゃんの家を出て、ゆるい坂を上った先に踏切が見える。 その真っ直ぐな坂をじいちゃんは僕のあゆみに合わせて歩く。 たまに電車が通るときがある。 遮断機が下りるのが見えたとき、じいちゃんは「電車が来るぞ!」と喜んで僕の手を引く。 踏切を渡って、そのまま少しだけ歩くと、焼き鳥屋さんに着く

冬晴れの追憶

冬の晴れた日の空気が好きです。 電車に乗って窓の外を眺めていると、いつもは見えなかった遠くの山や建物が見えるときがあります。 冬の透明な空気が、今まで見えていなかった世界を教えてくれるときがあるんです。 ***** 社会人になって間もないころ、「塔ノ岳」という山によく1人で登りに行きました。 特に予定のない週末は、電車とバスを乗り継いで「塔ノ岳」に通いました。 1人で、何度も何度も通いました。 なぜ、あのころ、あんなに塔ノ岳に登りに行ったのか、自分でもよくわかり

先生の告白

「先生は、みんなにずっと黙っていたことがあります。」 「実はね、先生は、左目がほとんど見えないのです。」 衝撃でした。僕が小学校1年生のときのことです。たぶん、学年最後の授業の時間だったと思います。先生の発言が、とにかくあまりにも衝撃的だったので、その日のことは、よく覚えています。 ***** 先生は、お年を召された女性の先生でした。まるでいつも和服を着ているような凛とした佇まいで、穏やかで優しい先生でした。 先生は、ご自身が教員になったときのことを思いめぐらせ、話

チョンちゃんの思い出

「チョンちゃんが来たぞ!」 どこからともなく、誰かが教えてくれて、僕らは、いつもの小さな公園に集まります。 小学校低学年のころです。 「チョンちゃん」とは、紙芝居のおじいちゃんのことです。 誰が名付けたのかは知りませんが、「チョンちゃん」と呼ばれていました。 ***** 紙芝居は、当時としても、もう相当に珍しかったと思います。 チョンちゃんは、痩せたおじいちゃんでした。まるで、マンガに出てくる昭和のガリ勉学生のような、レンズが太くて丸い、黒縁メガネをかけていまし

中学2年生の政治家

中学生のとき、僕は、生徒会の役員を2期勤め、政権のNo.2として、権力を私物化し、私利私欲にまみれた政治を遂行したので、ここにその一端を告白するとともに、一連の行動について弁解したい。 ***** 事の発端は中学1年生のときに遡る。職員室に呼び出された僕は、先生から、突如として、生徒会役員選挙への出馬を要請された。 想定外の要請に戸惑いつつも、当時の僕は、バスケットボールの部活動に精を出していたこともあり、生徒会の活動なんぞしていては、部活動の時間が取れぬとの理由でこれ

色合いの世界

再投稿(リライト)しました。以下のリンクになります↓

店員さんが教えてくれたのはブラックジーンズ

10代の頃、僕は、なかなか個性的なファッションをしていた。どう考えてもダサかった。 ある日、バイト仲間が、クラブのようなところへダンスを見に行こうぜと誘ってくれた。 僕はそういうところに行ったことがないので、どういう服を着ていけば良いかわからず、お気に入りの赤いボーダーのシャツと、赤いハーフパンツで行った。 そしたら、「おまえ、マクドナルドみたいだな」と言われた。 言われてみれば、たしかにマクドナルドだった。 ダンスが始まると、ひときわダンスが上手くて輝いている人が

有益な無益の行為

「君たち、明日からイタズラをするように」と、突然、先生が言うもんだから、教室は騒然となった。僕が小学校2年生のときのことだ。 イタズラはしてはいけないというのがルールだと思っていたのに、担任の先生は、僕たちにイタズラのルールを説明した。 ・イタズラは先生に対してすること。 ・毎朝、先生が来るまでにみんなでイタズラを考えて仕掛けること。 ・イタズラは1つだけにすること。 ・先生がイタズラに引っかかったら君たちの勝ちだ。だけど、先生は君たちのイタズラには引っかからないだ

はじまりのステーキ

高校1年のとき、思いがけないところで中学の先生に会った。 先生は、3年間で1度もクラス担任になったわけではなく、隣のクラスの担任だったけれども、僕は、先生の授業を受けていたし、課外活動などでも時々お世話になっていた。 卒業以来だったので、挨拶をすると、「ステーキを食いに行こう。おごるから」とのことだった。 まさか、先生と食事に行くとは思ってもみなかったけど、誘ってくれてありがたかったので、お言葉に甘えた。 さらに、容赦なく、お言葉に甘え、僕は、400gのステーキに挑戦

慈悲深き人々が集う場所

中学1年生の春休み、骨折をして入院した。 バスケの神様、マイケルジョーダンのように、ダンクシュートを決めたい。空高く飛び、空中を歩きたい。その一心だった。 小学校の校庭で、小学生向きの高さの低いバスケットボールリングを相手に、それでもリングが高くて届かないから、古タイヤを地面に何個か重ねて、踏み台を作った。 これなら届いた。ダンクができた。とにかく爽快だった。憧れのダンクを決める感覚。 夢中になった。何度もやった。 そして、調子に乗った。 ***** より高く、

神社の境内でのだまし合い

幼少のころ、よく八幡神社の縁日に連れて行ってもらった。 そこでは、「金魚すくい」ならぬ、「カメすくい」というのがあって、文字通り、小さなミドリガメをすくうことができるのだけど、これがめちゃくちゃ難しい。 すくう道具の持ち手は針金でできていて、二股に分かれた先に、お椀型のモナカがついている。ところが、カメをすくおうとするとモナカがすぐにシナシナに破けてしまう。 店のおっちゃんが、 「ほれ、こうやってやるんだよ。簡単だろ。」 と見本を見せてくれて、なるほど、確かにおっち