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裏拍のリズム

季節は冬。空は灰色に曇り、木々は枯れている。

まるで水墨画の世界のように色はなく、見ているだけで「切なさ」が溢れだす。

そんな印象のCDジャケット。

ジャズピアニスト「ビル・エヴァンス」の「You must Believe In Spring」というアルバム。

儚くて美しいピアノの音色に魅了された。響いてくる「悲しみ」と「切なさ」に惹かれた。

14歳のときだった。

*****

中二病におかされた僕は、ある日、男女のグループデートに誘われた。

晴れた日に公園に行き、ただその場所で語り合う。それだけで充分だと思っていた。

だけどその日は、誰かの希望でカラオケに行くことになった。

実は、カラオケボックスに行ったのは、このときが初めてだった。

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薄暗く狭い個室に入り、中央のテーブルを囲むソファーに男女別に座った。

どうも落ち着かない。ソワソワする。

女子を意識しているからではない。カラオケに気乗りがしないからだ。

僕は歌うのが苦手だ。第一、流行りの曲を知らない。この場で何を歌っていいのかわからない。

せっかくのデート。女子たちの前で、かっこ悪いところは見せたくない。

最悪な心境だった。

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カラオケが始まって驚いた。男子も女子もみんなスゴイ。よく曲を知っている。遊び慣れているというのはこういうことか。

僕は、電話帳のような曲目リストをパラパラと眺め、自分が歌う曲を選んでいるフリをしていた。

そこに、ビル・エヴァンスはなかった(あたりまえだ)。

今でこそ、カラオケの楽しさがわかるようになった。youtubeのおかげで、歌のレパートリーは増えた。かっこつける必要もないし、歌が下手なりに場を盛り上げる術も得た。誘われれば、さっさと曲を決めて歌ってしまう。

でも14歳の僕にはそんなことができるはずもない。早々に歌う曲を決断しなければ、状況は悪くなる一方だ。

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「原井も何か歌えよ。」

「原井くんの歌、聴きたいな。」

歌わないことで、逆に注目を浴びてしまう。僕は冷静さを失う。

サビだけ知っている曲ではダメだ。確実に全てのフレーズを歌える曲でないと失敗する。

焦れば焦るほど、歌える曲が思い当たらず、見つかりもしない。どんどん追い込まれていく。

そのとき、ふと開いたページに目がとまる。

僕が知っていて、確実に歌える曲。

「サザエさん(宇野ゆう子)」

もう、これしかない。

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この曲の破壊力は凄まじい。

イントロが始まりタイトルが映し出された瞬間、カラオケボックスの空気が一変する。

否が応でも観衆は歌い手に注目し、「おさかなくわえた~」の歌い出しを期待して静まり返る。

たとえ、歌い手自身がそんなことを1ミリも望んでいなくとも。

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サザエさんの曲のリズムのアクセント。これは「裏拍」と呼べるのだろうか。

僕に詳しいことはわからない。しかし、そんなことはどうでもいい。

たしかなことは、このとき、僕にとって絶望の時間が流れたことだ。

こんなにピースフルな曲を歌っているのに。

そして、1人の女子が言った。

「原井くんっておもしろいね。」

ああ、なんてやさしい人なんだろう・・・。僕は彼女のやさしさに惚れた。

『みんなが笑ってる~、 お日さまも笑ってる~、 ル~ルル ルルッル~、きょ~うも   いい天気~』

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中学生の僕に言ってやりたい。「ビル・エヴァンスのCDジャケットをよく見ろ」と。

枯れた木々には新芽が芽吹き、灰色の空には微かに光が差している。

「冬の時代が来たならば春はもうすぐだ!」

「たとえ遠くとも春は必ず来る!」

「そう信じるしかないだろ!」と。

「You must Believe In Spring」

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本年もよろしくお願いいたします。

厳しい情勢が続きますが、皆様にとって2021年が、幸多き1年となるよう心よりお祈り申し上げます。






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