本の記憶#5 どんぐりと山猫 宮沢賢治著

午前中、日が差していたので、木陰側の道を歩いていました。

すると、上から何かが落ちてきて、僕の頭に当たりました。

思わず見上げると、木漏れ日だけが見えました。

何が落ちたのだろうと、視線を下げたら、足元に小さな枝が落ちていました。

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その小さな枝を拾い上げると、葉っぱが4枚と、小さなどんぐりが6個、くっついていました。

6個のどんぐりは、まだ青みがかった若いどんぐりで、帽子をつけたまま、枝にくっついていました。

帽子をつけた6個のどんぐりたちは、なかなかに愛らしい姿をしていました。

そこで、僕は、彼らが帽子からはずれないように、そっと、自分のポケットにしまいました。

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どんぐりといえば、お池にハマったり、背比べをしたり、なんだかぞんざいな扱いを受けている気がするのは、僕だけでしょうか。

中学生のとき、その髪型から、「どんぐり」とあだ名をつけられた男子がいましたが、彼がいじられキャラだったことは否めません。

でも、高校生のとき、その雰囲気から、「どんぐり」とあだ名をつけられた女子がいましたが、彼女の場合は、その愛らしさから、そう呼ばれていました。

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宮沢賢治の小説に「どんぐりと山猫」という話があります。

宮沢賢治は、この不思議なお話の中で、どんぐりのことを「どんぐりども」と書いています。

やはり、ぞんざいな扱いです。

でも、お話を読んでいると、その「どんぐりども」が、くだらない大人たちの現実と重なって、どうも憎めないんですね。

なんとも愛らしいのです。

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このお話の中で、主人公の一郎くんがたどり着く、「黄金の世界」があります。

僕は、「黄金の世界」は、子どもの心の世界だと思っています。

子どもにしてみれば、どんぐりも、輝く黄金に見えるということだと思います。

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そして、山猫の最後の言葉が気になります。

一郎くんは、その言葉に従わなかった。

だからこそ、一郎くんは大人に一歩近づき、子どもの心の世界である「黄金の世界」が見えなくなったのだと思います。

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では一方で、山猫の言葉に従っていたらどうなっていたのでしょうか。

僕は、それでも、一郎くんは、同じように「黄金の世界」が見えなくなったのではないかと思うのです。

黄金のどんぐりを手に入れるためならば、社会に迎合し、誰かに依存して生きることもやむを得ない。

そう考えるのも、十分に大人の考えであると思うからです。

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でも一郎くんはそうはしなかった。主体的に生きる道を選んだ。それで良かったと思うんです。たぶん「黄金のどんぐり」なんて無いのでしょう。

ただ、主体的に生きる道は、誰かに依存して生きるよりも困難な道だと思います。

黄金のどんぐりの代わりになるものを自分で見つけていかなければならない。

だから、焦って、大人になる必要はないんじゃないかとも思うのです。

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家に帰ってきて、ポケットから、どんぐりたちの小枝を取り出しました。

しばらく眺めてみると、6個のどんぐりたちは、形も、大きさも、色も、それぞれ違うことがわかります。

でも、それはよほど意識をしたときのことで、やはり「どんぐり」は「どんぐり」でした。黄金にも見えませんでした。

残念ながら、僕の心は、相当に曇ってしまったようです。





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