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彼方からの電話、待てなかった会社員

会社を辞めて7ヶ月が経った。

短期留学に行ったり、大学の通信課程で勉強したりしているので、それなりにやることはあるのだが、毎日8時間以上拘束されていた会社員時代に比べればかなり時間に余裕がある。

これまでとは比べものにならないほど色々な舞台や展覧会を観ている。
特に、ミスiDウォッチャーをやっていた頃に知った人たちの舞台をやっと観られたのが嬉しかった。小劇場や小さな会場でやる舞台は上演期間が短いので、仕事が立て込んでいる時期には見逃すことが多く、また疲れている時は土地勘のない街の会場まで行くのを億劫に感じて断念することもあったりして、度々悔しい思いをしてきたので。

街を歩いている時や電車を待っている時なども、今まで見逃していたものに目が留まるようになった。
駅のベンチに腰掛けてふと上を見て、天井の梁や鉄筋に、鳩よけのトゲトゲがびっしり張り巡らされていることに気付いたり。モスのチキンバーガーはモスバーガーより100円ぐらい安いけど、野菜もたんぱく質も取れてちょうどいいと発見したり。

そんな日々の中で、不意に思い出した出来事があった。

2年ほど前、私のスマホに、見知らぬ番号から二度の不在着信があった。
その日は平日で、私が着信に気付いたのは昼休みだった。
下のフロアの休憩室で無料のお茶をコップに入れ、机に戻り、朝に買っておいたパンを食べ、歯磨きし、SNSをチェックしたり机に突っ伏して目を閉じたりしていれば、昼休みの1時間はすぐ過ぎる。
頻繁に電話で連絡を取るような相手も特にいなかったので、発信元は宅配業者か、その時に進めていた引越し関係の業者かもしれないと思った。であれば、夕方5時までにかけ直さないと、今日中に用事が片付かない。昼休みが削られるのは不満だが、すぐ電話することにした。
それにしても、何で留守電に要件を入れておいてくれないのか。そうすればこっちは回答を準備できて話が早いのに。

話し声が周囲の迷惑にならないよう、居室の外にある自販機コーナーに出て、謎の番号をタップした。
数回のコールの後に相手が出たが、「○○です」といったような言葉が何もなく、私は混乱した。
しばらく無言の時間が続いたが、埒が明かないので、私は言葉を発した。

「あの、何回か私の番号にお電話いただいているようなんですが、ご用件伺っても宜しいですか?」
「……あ、う……」

相手がスマホの向こうで言い淀んでいるような声が、かすかに聞こえてくる。私は戸惑った。そもそもあなたが電話してきたんじゃないか。こっちは掛け直しているだけなのに、そのために貴重な昼休みをわざわざ削っているのに、何をぐずぐずしているのか。こういうことを防ぎたいから、電話会社にお金を払ってオプションの留守電機能を付けているのに。謎の呟きと沈黙に、苛立ちが募ってきた。

そして、相手の態度から、多分この人は間違い電話を掛けてしまったのだろうと感じた。私の声が自分が電話した相手の声と違っていて、どうしたらいいのか分からなくなっているのだろうと思った。であれば、私がやるべきことは、この無意味な通話をさっさと打ち切って、昼休みに戻ることだ。

「間違い、ということで宜しいですか?」

強めの口調で、私は語りかけた。

「あ、え……」

電話口からは、またしても要領を得ない声が漏れてくる。
「はい、間違えました」なり、「いいえ、私の要件は○○です」なり言ってくれれば次の段階に進めるのに、こんな返事では何も進展しない。
これ以上この電話に時間を削られることに、私は我慢できなくなった。

「失礼します」

私は電話を切った。

その後、同じ番号から電話が来ることはなかった。

結局、あの電話は誰からだったのだろう。
私が電話を切らずに、相手が言葉を発するまで辛抱強く待ってあげていたら、相手は要件を言ってくれたのだろうか。
もしくは、「すみません、間違い電話でした」と自分の言葉で説明してくれたのだろうか。

しかし、納期に追われ、絶えず効率化を求められていた当時の私に、待ってあげるという対応は到底無理だったとも思う。
電話は相手の時間を割いてもらう行為なのだから、番号をプッシュする前に要件をメモにまとめ、自分の意図を簡潔に伝えられるよう準備することがマナーだと認識していたし、実践してきた。
裏を返せば、それができない未熟な人間は社会的信用を失っても仕方ないし、軽んじられても文句を言う資格はないという意識もあっただろう。
要件を簡潔に言えなかった人への、あの時の私ができる最大限の対応があれだった。

「あの電話は誰からだったのだろう」という未解決問題は、待つ余裕のなかった私への罰なのだろうか。
でも、社会の中で自分の居場所を失わないために必死にマナーを守りながら、同時にそれができない人のことを大目に見て時間を割いてあげるという超人的なことをスムーズにできる人なんているのか、とも思う。
正直、当時の私にそこまで求めないでください、という気持ちになる。

そして、仕事をしながら子育てや介護をしている人たちは、私なんかよりはるかに高頻度でこのジレンマに直面しているのだろうな……と想像する。
一方では的確な事務処理や報・連・相を求められ、他方では要領を得ない子供や高齢者の言葉を聞いて意思疎通しなければならない。ビジネスパーソンとしてのマナーに沿った対応と親としての柔軟な対応を、状況に応じてパチパチ切り替えなければならないというのは、結構なストレスではないだろうか。

会社を辞めて学生をしている今なら、同様の電話があっても、もう少し待てる気はする。
そして、通信課程の修了後に前職よりも自分の関心に近い仕事ができたら、人生全体のストレスが減って心に余裕ができ、相手が喋るまで根気よく待つ人間に変われる可能性もゼロではないが……果たしてどうなるだろうか。

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