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「南の国のカンヤダ」(鈴木敏夫)-作品の原点はレヴィ・ストロース

"自分がやることをあらゆる角度から徹底的に研究するのは、野蛮人と農民と田舎者だけである。それゆえ彼らが思考から事実に至るとき、その仕事は完全無欠である"
(H・ド・バルザック「骨董室」)


『南の国のカンヤダ』(著:鈴木敏夫)はタイのシングルマザーのノンフィクション小説。シングルマザーのカンヤダとバンコクに住む青年との恋愛物語だが、本書で描かれているのは、地方と都市に住む人間との思考の違いであり、根本にあるのは筆者が学生の時に出会ったレヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』。つまり構造主義(=人間主義)。

レヴィストロースは1930年代に南アフリカの先住民インディオの暮らしを3年間調査し、「自分の知識と経験だけで生きている」彼らの考え方こそが、世界の行き詰まりを打開する鍵だと直感した。彼の主張は、当時のヨーロッパに残っていた「西欧こそが知的で高いモラルを持ち、(日本を含めた)それ以外の国はすべて発展途上国である」という価値観を壊した。

現代人(近代合理主義)は、物事を抽象的に考える。モノ作りは科学的思考で設計図を作り大量生産。意識は今よりも未来に向き、他者よりも自分のことを先に考える。自分自身のことはよく分かっていない。それに比べると、先住民(野生の思考)は、具体的なことを組み合わせて思考する。物事を具体的に考える。モノつくりは自分の周辺にあるもので思考しモノを作る。彼らは家族や他者を大切にする。必要なのは自然と宗教。

プノンペンに住んでいた頃、初めて付き合った女の子がカンボジアの田舎出身だった(実家は高床式住居)。バツ1子供なしで当時24だったが、とにかく自己主張が強かった。会話が「クニョム(私)!」ばかり。頭の回転が速くて、朝から晩まで1人で喋りまくった。そのほとんどは自分の家族の話題だった。最初の頃「オッチャラート!」(お前は頭が悪い!)とよく言われた。その子は小学校しか出ていなかったと思うが、僕より確実に地頭が良かった。 自分のそういう経験とカンヤダの物語はリンクした。

日本に戻ってスーツを着る仕事を再開するようになって、少し変わったことがある。ホワイトカラーの人間が多用する(本で知ったと思われる)抽象的な言葉を使って話される内容にあまり興味が無くなってしまった。マクロな概念を使えば賢い感じは出せるが、そういう説明は実態とはかけ離れている気がする。自身の体験や知見に紐付いていない発信はつまらない。野生の思考ができる人間に惹かれる。

南の国のカンヤダ
https://www.amazon.co.jp/dp/4093886288/ref=cm_sw_r_cp_api_i_dQjtCbYRQG2BZ

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