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離れているからこそ、近い

 
 インターネットの発達した現代において、私たちが日々目にするスマホや、PCの中の空間では、さまざまな情報が行き交っている。最近の流行りは、デジタルでアナログを代替するサービスだ。

 GAFAの代表格、Amazonはその先駆けと言って良いだろう。インターネット上にデジタルショッピング空間を形成することによって、"ショッピモール"というアナログ空間をデジタル空間で代替した。私たちはインターネットを介してボタン一つで欲しいもの(アルゴリズムによって欲しいように思わされるもの)を購入でき、次の日には玄関に届いている。「なんて便利なんだ」と思うことも多いだろう。家と"ショッピングモール"の距離が近くなったように感じるかもしれない。

 前述のAmazonに代表されるように、インターネットにおけるサービスは、アナログ空間の物理的距離を近づける方向へ加速してきた。最近ではウェブ会議もそうだろう。"あなたが確かにそこにいる感覚"などを諦める代わりに、移動時間や移動にかかる費用を節約できる。移動に関わる種々の要素が減ることで私たちはあたかも距離が縮まったかのように感じられるだろう。しかし、本当にそうだろうか。

 そもそも現代のインターネット空間においては、伝達できるデータ量に限界がある。あなたが動いている"動画"や"音声"は圧縮された情報に過ぎない。そこにはあたかも誰かがいるように感じるが、圧縮されたデジタルの代替物に過ぎない。データが圧縮されるということは、情報が削減されていると言って良い。圧縮されたデータと、アナログ空間上の"データ"との距離を測ることは難しいのではないだろうか。

  "誰かと繋がっているような感覚"とはよく言うもので、実際家族や恋人など近しい人々とは、たとえ離れていたとしても、共通の体験を有する(同じ月を見ている等)と、何か距離が近いような感覚になる。物理的な距離が離れているからこそ、近く感じることもあるだろう。これは、インターネットによって情報伝達がなされる空間の距離と質が異なる。確かにどちらも物理的に離れているのだが、何かが違う。アナログ空間の距離は、物理的な距離に全て依存しているわけでもなさそうだ。このような感覚はインターネットによって形成されるような、"距離が近い"デジタルの空間上で伝達できるだろうか。

以上、簡単ではあるが問題提起の結びとしたい。

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