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一時の人気では文化としては根付かない

どうも、ウクモリ ヒロオです。

SNSを見ていると、時勢の話題についていち早く投稿している方を見かけます。また、そういった投稿がメインという方もいらっしゃるのですが、メディアが発信しているからと何事にも飛びつく姿、なにか憐れに思うのは私だけでしょうか?

私は最近、テレビを見ることがさらに減りました。なので、私のnoteにテレビ番組の話題や時事問題が登場することはほとんどありません。先日、例外的に「機動戦士ガンダム 水星の魔女」の話題を取り上げたのは、かなり面白い作品だったからです。なので、基本的には流行になっていることにはあまり興味がないかもしれません(笑)

また、コロナ禍以降、メディアから発信される情報の偏り方が酷いことに気付き、その点をとても意識するようにもなりました。なので、聴いた内容をしっかりと咀嚼するだけでなく、自分ごとになるまでは、話題になっていることは極力的には発信しないようにしています。

このように考えるようになったのは、東日本大震災の時にTwitterで発信された情報を鵜呑みにしてしまい、とても苦い思いをしたことがキッカケになっています。同時に、メディアで発信されている情報が統制されており、知りたい情報が実は手に入らないという事実にも気付きました。

また、メディアを利用すれば、生産が追いつかなくなるほどビールが売れたりします。そして、直ぐに手に入らないという希少価値性を訴求し、さらに消費者を煽るようなやり方をする状況にも疑問を抱くようになりました。逆に、そういったメディアに踊らされてしまう可能性もどんどん高くなっています。

メディアは一過性の情報を発信し続けていて、私たちはそんな情報にどんどんと時間を浪費してしまっています。気が付けば、手元には何も残っていない・・・そんな状況、皆さんもありませんか?

一時の人気だけは文化としては根付かない

私はnoteで、価値創出について語ることがあります。これまで述べたような一過性のブームのほとんどが、短命で収束してしまっていることを知れば、大企業のように資金力がある場合を除き、しっかりと文化として根付かせるような何かを構築していく必要性を感じています。

私が最近、共創共栄という言葉を好むようになったのも、このキーワードの先にあるものこそが「価値」そのものだと考えているからです。なので、改めて実体験することや、偶然の出会いを大切にするようにもなりました。

しっかりと実体験して、自分ごととして話せることを増やす。

だからこそ、冒頭のようなメディアが垂れ流している情報に過敏に反応する方々が心配です。メディアに影響された挙句、コンビニで流行りのものを買ってみて価値を感じたつもりになる。私自身、気が付けばこの流れに組み込まれていることもあるので、あまり偉そうなことは言えません。

ただ、無意識にそうなっている人が多いように感じているので、私なりの見解を語ってみました。皆さん、どのように感じたでしょうか?

こんなことを語りつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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