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ロサンゼルス、驚きの出会い

1975年、初めてアメリカへ行った。大学留年中の分際で…

ロサンゼルス空港に到着して気がついた。その日泊まるところを決めてなかったんです。
で、空港のインフォメーションのおねえさんに尋ねた。
「とにかく安く泊まれるところを教えてください」
そして宿泊予約もお願いした。

おねえさんが書いてくださったメモを持って広いバスターミナルへ行ったけど、どのバスに乗ったらいいのか途方にくれてしまった。

たまたま通りがかったおまわりさんにメモを見せたら、彼はぼくの腕をつかんで、乗るべきバス停まで連れて行ってくれた。そして、そのバスのドライバーに、そのメモを見せた。とても親切だったので、サンキュー!を何度も言った。そしたら、そのおまわりさん「ハブ・ア・ナイスデー・アンド・エンジョイ・LA」と思いっきりニコッとしてくださった。

空港のおねえさんが書いてくれたメモには〈グレンデールYMCA〉と書いてあった。なんでYMCAやねん? 日本のYMCAは学校みたいなところやけど、アメリカでは安く泊まれるゲストハウスみたいなもんだと、あとでわかった。

ところで、ロサンゼルスって〈Los Angeles〉って書くんですね。もともとあの辺はスペイン領だったそうで、スペイン語の〈Los〉は複数を意味するから、ロサンゼルスの意味が〈天使たち〉だってのはあとで知った。とてもいい名前ですよね。

空港のおねえさんに頂いたロスの地図を見たら、グレンデールはロスの中心街からやや北にあります。
終点の大きなバスターミナルで降りるとき、ドライバーのおじさんが、グレンデール行きのバス停の番号を教えてくださった。親切だよね。

初めて来たアメリカだけど、その第一日目から、親切な人たちに出会えたのは、とてもラッキーでした。空港のおねえさん、バスターミナルのおまわりさん、そしてバスドライバーのおじさんなどなど…

でも、その翌日、すごいジャズピアニストに出逢い大感激することになるなんて、その時は、まったく予想だにしなかったけど…

グレンデールでバスを降りて、道ゆく人に「YMCAに行きたいんです」と尋ねた。そして、抜けるような青空のもと、バス停から数分歩いたところにYMCAを見つけた。

受付のおばさんに三日分の宿泊料金(とても安かった)を払って鍵をもらい、小さいけど予想以上に清潔な部屋に入り、今夜はここで寝れるんやとホッとした。

そして、荷物を置き散歩に出かけた。

初めて歩くアメリカの街…青空のせいか、とてもカラフルに見える。
カフェみたいなお店に入って窓際の席に座り、コーヒーとサンドイッチを注文した。午後のお店は、どのテーブルも年寄りばかりだった。

食事を終えたおばあさんが、杖をついて店を出て、表に停めていたデッカイ車を運転して帰っていった。日本では見ることのない光景だなあ。やっぱりアメリカや。

YMCAに戻る途中で見つけたお店でビールを買った。
部屋に戻り、ベッドに腰掛け、窓の外の夕陽を見ながらビールを飲み、ほっと一息ついた。そして思った。
〈初めて外国に来たけど、ま、なんとかなるもんやなあ〉

このYMCAで、ちょっと驚いたことがある。
広い洗面所で、手をゴシゴシ洗っている中年のおじさんを見たんです。
洗面所に入ったぼくには目もくれず、ひたすら手や腕をゴシゴシ洗い続けているんです。ずーっと。いったいどうして?
あまりにも不思議な光景なんで、ちょっと迷ったけど受付のおばさんに、それとなく尋ねてみた。おばさんは、うーんとしばらく考えたあと、声を落として言った。「彼はね、ベトナム戦争から帰ったあと、メンタルプロブレムが生じて軍隊の療養所にいたんだけど、社会復帰を考えると、一般社会に近いところにいたほうが良いと言う軍の判断で、今、このYMCAに滞在してるんです」でも、じゃあ、なぜ、ずっと手を洗ってるんですか?
おばさんは、ややためらいがちに、やはり小さな声で言った…
「ベトナムで付いた血を洗ってるんです…」

ベトナム戦争は遠い世界のことだと思ってたけど、途端に身近なものとしてぼくに迫ってきた。洗っても洗っても消えない血…これはアメリカの後遺症だとぼくは思った。

グレンデールでの初めての夜、つまりアメリカでの初めての夜を、やや複雑な気持ちで過ごしたぼくでしたが、明日があるさと、大きく伸びをしてベッドに横になりました。さあ、明日は街に行くでー!

ロサンゼルス(以下LA)には、電車も地下鉄もなくバスだけ。つまり、完全な車社会ですね。日本の公共交通機関や私鉄の充実ぶりを思うと、LAはかなり移動に不便な街だと思う。でも、ぼくはおのぼりさんです。張り切ってバスに乗りLAの中心街に出かけた。そして、目ぬき通りのブロードウェイを端から端まで歩くなど、もう、そこらじゅうを歩き回った。

やや歩き疲れたころ、かなりの高層ビルに出くわした。
正面に「センチュリープラザホテル」とある。で、思ったんです。
…このビルの最上階からLA全体が眺められるんとちゃうやろか…
で、最上階のフロアでは、広大なLAの眺めを堪能しましたねえ。太平洋も見えました。LAはとても広い。

LAの眺めに満足したぼくが、エレベーターで下に降りようとした時、どこからかピアノの音が聞こえてきたんです。

昔からピアノミュージックが大好きなぼくは、そのピアノサウンドに耳を傾けた。とてもいい感じのピアノだったんで、その音のする方へ行った。
開けっ放しのガラスドア越しに、その広いラウンジを覗くと、奥の方にグランドピアノがあり、かなり太めでアフロヘアーの黒人のおっちゃんがピアノを弾いていた。

ドアのそばで、しばらくそのピアノに耳を傾けてたんだけど、あまりにも素敵な演奏なので、中に入ってすぐのカウンターに座りビールをお願いした。
広いラウンジには十数人のお客さんがいただろうか。食事をしてる人もいたけど、ほとんどの方がグラスを片手に静かにピアノに耳を傾けている。
確かにいい演奏です。ぼくは、この黒人の太っちょ(ゴメン)のおじさん、経験豊かな一流のピアニストだと思った。なぜなら、当時、ジャズのLPレコードを1500枚ほど所有していたぼくだけど、特に多いのがピアノトリオのアルバムだったんで、ピアニストの良し悪しはかなり判断出来たんです。

緩急織り混ぜた多彩なレパートリーを、達者なテクニックと歌心たっぷりに弾く彼のピアノを聴いていて、ますます嬉しくなり、カウンターの中にいたバーテンダーのおじさんに、リクエストが出来るかどうか聞いた。
「彼は何でも弾いてくれますよ」とぼくにメモ用紙をくれたんで、ちょっと考えたあと、ジャズのスタンダードナンバー〈All the Things You Are(君こそすべて)〉を書いた。

バーテンダーのおじさんは、演奏中のピアニストに、そっとそのメモを見せ、カウンターのぼくを指差した。チラッとメモを見たピアニストのおじさんは、演奏しながらカウンターに座るぼくを見てにっこりしてくれた。すごく嬉しかったですね。
彼がニッコリしてくれた理由はあとでわかった。
で、ぼくのリクエスト〈All the Things You Are〉が始まったけど、すごく熱のこもった演奏にたちまちぼくは惹き込まれてしまった。まるでドラマのような盛り上げ方のアドリブの連続に熱くなってしまったんです。
ところが、その時、ふと思った…
これとよく似たピアノを聴いたことがある…
よく似たピアノを弾くピアニスト、誰やったかいな? 誰や?

…そうや!思い出した! Hampton Hawesや!

ハンプトン・ホーズは、戦後の日本に進駐軍の兵士としてやってきた。そして夜な夜な、東京や横浜のジャズクラブで演奏し、当時の日本人ジャズミュージシャンに多大な影響をもたらしたジャズピアニストとして知られる。

ぼくは、彼、ハンプトン・ホーズのLPレコードを10枚所有していた。LPジャケットに見る彼はとてもハンサムでスリム。おそらく当時の黒人ミュージシャンでは一番ハンサムだったと思う。

ハンプトン・ホーズのアルバムにも〈All the Things You Are〉が入っている。その演奏を思い出したぼくは、そのラウンジのピアニストの演奏が、ハンプトン・ホーズに似ていると思ったんです。

でも、姿かたち、その容貌は似ても似つかない。
そのラウンジで演奏していたピアニストのおじさんはかなり太め、しかもアフロヘヤー。もちろん別人ですよね。

ピアニストが〈All the Things You Are〉を弾き終えた時、ラウンジにいたすべての人が拍手をした。まるでジャズクラブのような雰囲気の中で、ピアニストは立ち上がってお辞儀をした。

そして演奏を終えた彼がカウンターに来た時、ぼくは立ち上がって彼にお礼を言った。「ぼくのリクエストを演奏してくださってありがとう」
彼は、バーテンダーにビールを注文したあと、ニコニコとぼくに言った。
「とてもいい曲をリクエストしてくれてありがとう。わたしの大好きなナンバーです。久しぶりに弾きました」

嬉しくなってやや興奮したぼくは、思わず彼に言ってしまった。

「あなたの演奏を聴いて思い出したジャズピアニストがいます。彼は戦後の日本に兵士として来て、日本のジャズミュージシャンに大きな影響を与えた方なんです。ぼくは彼のアルバムを10枚持っています。ぼくの大好きなピアニストです。ハンプトン・ホーズと言いますが、ご存知でしょうか?」

彼は、一瞬、驚いたようにぼくの顔を凝視したあと、嬉しそうに言った。
「あなたがハンプトン・ホーズのピアノが好きだとおっしゃるのは、とても嬉しく光栄に思います。ぼくがそのハンプトン・ホーズです」

エッ?…

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