バイリンガルという言語


#子どもに教えられたこと

私の夫はフランス人、8歳の娘は日仏ハーフのバイリンガルです。

昔、日比谷線で六本木や神谷町あたりで乗り込んでくるインターの若者たちの会話を聞きながら、おぞましいな、と思っていました。

日本語で話していると思ったら、次の瞬間にbut I think............とか、I was like “what?”とか、急に英語にスイッチする話し方です。


一つの言語もまともに話せないのかって。

でも、今になって思うことは、彼ら、彼女らは、多分、”バイリンガルと言う言語”を話していたのだろうと思うのです。

私は英語のネイティブではありませんが自分のことを日本語と英語のバイリンガルと呼んでも多分非難はされない程度に英語を使います。子どもの頃からバイリンガル環境にいた訳ではないけど、40年に近い人生のうち後半半分は英語を使う時間が結構多かな、と思います。

その中で、もちろん英語を話す人とは英語日本語を話す人とは日本語だけで会話しているわけですが、友人のうち2人くらいですけど、”バイリンガルと言う言語”で話すのが心地よい人がいます。

つまり私が日比谷線で見ておぞましいと思った日英スイッチ会話です。

例えば、日仏ハーフの友人。8歳から2年前までフランスにいた彼女の日本語は、聞いてる分には日本人のように話しますが、彼女としては結構難しいとのこと。最初は私もフランス語練習したいしフラ語で話したり、彼女のために日本語で話したりしてましたが、彼女とは友達として話したいことがたくさんあり、いつからかメインの会話は英語になりました。一番平等にお互い話したいように話せる。

でも、ニュアンスや単語によっては日本語を使いたかったり、夫が娘にこんなことを言ってた、みたいなエピソードはそのままフラ語で言う方が良かったり、文脈により言語間をスイッチする、おぞましい話し方をしているわけです。でもこの言語間を行き来する話し方って、実は効率的!そしてテンポが楽しい。

そんなことを思っていた折に、数日前から読み始めた、ドミニクチェンという、情報学の研究者が書いた   「未来を作る言葉」という本に、ちょうどよくこの感覚を説明している箇所がありました!この本の著者は日本で日本人の母とベトナム人と台湾人のハーフでフランス国籍の父の間に生まれ、日本にいながらフランスのリセの教育で育ってます。中学校から高校はパリで、高校3年から大学以降はアメリカでその後日本で活躍されています。
 
しかしこの本、、、、「未来を作る言葉」のタイトルからあまり想像のつかない内容で、読みながらも何の本なのかちょっと私には難解。。。。笑
わかることは、この本では、個人の中で、または他人との関わりの中で、外部環境や、はたまたテクノロジーとの関係の中で、個人の思考に広がりを与えるような事象を具現化し、その思考が広がる瞬間を捉えて可視化しようとしている彼の試みを説明し、可視化されたものからの学びを伝えている本なんだと推測します。(もう半分読み終わったくせに、推測します、だなんて。笑)

 
こんなバッググラウンドの彼が説明する思考の広がりには言語に関するものも含まれています。幼少期の彼は、使う言語を文脈に応じて取り換えられるものだと感じており、異なる言語の領土を行ったり来たりできる自由な運動に快楽を覚えていた、と。


私がかつて、日比谷線でおぞましい話し方をしているなーと第一印象を受けた若者たちは、一つの言語をまともに話せないわけではなく、多言語間を行き来することで、この思考の行き来を楽しむ“バイリンガルと言う言語”を仲間内で話していたのかなーと、今になって思ったのです。そして私もその話し方の楽しさを今なんとなく理解できるのでした。
 
ここからはドミニクの本にはないのですが、では、言語による思考への影響って、なんだろうな?と。これってずっと漠然と考えていたのですよね。
私も。英語話している時の自分は、日本語話している自分とちょっと違う気がするって。多言語話す人は多かれ少なかれこの感覚があると思うのですが。

で、ちょっとググってみました。
そのまま「言語による思考の影響」ってサーチワードで。
 
結構出てきました。
 
女性名詞と男性名詞がある言語話者の実験について記事がありました。スペイン語で橋は男性名詞だけど、ドイツ語では女性名詞らしいです。でスペイン語話者に橋をあらわす形容詞は何?と聞くと、強いとか、大きいとか、立派とか、高いとか、頑丈な、とか男性的なイメージの形容詞が出てくる傾向にあるそうです。一方ドイツ語話者は、エレガントな、美しい、可憐な、などの女性的なイメージの形容詞が出てくるそうです。
 
他の実験では、2言語それぞれの話者に一つのイメージを見せてそれはどういう状況か説明してもらうと違いが出る、という話があり、ではバイリンガルの場合はどうかというと、その直前まで話していた
言語によって説明の内容が変わる傾向にある。
(文法の成り立ちによってこの違いが出るみたいな説明でした)
 
だから、話している言語によって思考が変わるって多いにありえることなんですよね!
 
将来的にAIの発達で同時通訳が可能になり、人々は語学学習の必要がなくなるだろう、とか、子供の英語習得ばかりに躍起に
なるのはナンセンスだ、とか言うけど、多言語操ることは思考の広がりに影響があるんだよ、と言われたなら?多言語の習得が意味するところってもっと大きな意味を持ちませんか?
 
バイリンガルの娘に、ママとは日本語、パパとはフランス語って一瞬で使う言葉を変える時って、どういう感じなの?と聞くと、最近はずっとフランス語で考えてるって

感じがする、との答え。。。
うーん。

そうだよねー、そんな簡単にどういう感じかだなんて、私たちがほえーーってびっくりするような答えなんて飛び出さないですよね。
 
でもたまにこれからも聞いてみよう。
娘がこの状況を成長と共にどう感じ取っていくのか楽しみなのでした。



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