あなたは多分、私の家族だった。ありがとう。

母が20年近く共に過ごしたパートナーが
先日亡くなりました。自己免疫疾患系
の難病で、70歳という若さでした。

母と付き合いだしたのは20年くらい前で、
一緒に暮らすようになって10数年でしょうか。
ですので、妹も私も大人になっていたし、一緒に
暮らしたこともないので、いつまでも、そこにいる
おじさん、という感じのままでおりました。
口数も少ないし、ぼそぼそ話すから、いつも何言ってる
のか、すべて聞き取れず、私が、え?え?と
聞き返していると、母が
「もー何言ってるか全然わかんないんだから、
はっきり話しなさい!」といちいち文句を
言っていました。笑

私の父が、多少害のある人だったと言ったなら
このおじさんはまーったく無害な人でした。
いつもニコニコして、怒ることなどなく、ぼそぼそと
穏やかに話をして、でも話したいことがあると
一生懸命ぼそぼそ話してました。

公務員をする傍らで、若い頃から絵を描く人でした。ぼそぼそ話し、何を考えているかよくわからない彼は、何を想像力の源にしているのか、全く計り知れないのだけど、とにかく奥行きが永遠に深く、底が見えなく、何を表現しているのかわからないけど、じーっと見ていたくなるような抽象画を書いてました。

若い頃の絵は対象がはっきりしてました。花や、景色や、船や、昔の酪農農家でよく見られたサイロや。
でも船の絵はいつも空中に浮いていました。

古い古い家をアトリエにして、そこで絵を描いて
いました。古い和室にはこれまでに描いた絵が、
まるで価値のないものかのように大量に立てかけら
れており、見たいとせがむと大したものじゃない、
というように雑にひっぱり出して見せて
くれました。絵が好きなうちの夫は、このアトリエが
大好きで私の実家の街に行くたびに連れて
行ってもらい、今描いている彼の絵を見て、
立てかけられている古い絵を飽きもせずに何度も見てました。


好きな絵があれば持って言っていいよ、
と言われており、大きいのが一枚欲しいと
思いながらも、いつもどれをもらうかずっと
何年も悩んでいるまま、
まだ結局その一枚を選んでいません。

小さめの船の絵を数年前にもらいました。
まだ彼が母と付き合うずーっと前に描いたその船は
母の父、私の祖父が所有する船の絵でした。
祖父の船にはどれもトレードマークが付いており、
祖父が大好きだった私は、そのトレードマーク
がはっきり入った船の絵が我が家のリビング
に来た時、少し感動しました。

彼は奥さんを若い時に癌で亡くし、
子どもがいなかったので、しばらく一人
でいましたが、高校の同級生だった母が
父と離婚して、何となく友達付き合いして
いるうちに付き合うようになりました。

子どもがいる家庭を知らない彼は、妹の子ども達や、うちの子どもを少し遠慮した距離を置きながらも
可愛がってくれました。面白いねーって。

このおじさんがなくなって、悲しいよりも
先に母が心配でたまらないという気持ちです。


でも妹と、結局あのおじさんの何が母は
良かったんだろうね?かっこよくもないし、何言ってるのかわからないし、ボーっとしてるし、なんて話していたら、猛烈に悲しくなって、二人で泣きました。

田舎の中でも少し目立つ家の、ちょっと
目立つ個性の強い母と一緒にいるのは
実は結構大変なことだったんじゃないかな。
でも文句も言わず、穏やかに20年も
母を支えて一緒にいてくれたことに対して、
娘としてはありがとうという気持ちで
いっぱいです。このおじさんは、やっぱり私の家族だったのかな。気がつけば家族になっていたのかな。

今年71歳、まだまだ若い母には、健康で自由に、
ますます飛躍してほしいなーと思ってます。
妹も私も遠くにいるから今支えられないのが
残念です。

もう一度、ありがとう。
母を見守っていて下さい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?