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「生きていてもいいんだ」という感覚

 前回の記事を書いたあと、唐突に「私って生きていてもいいんだよなあ」ということばが浮かんだ。

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 私はこれまで、「自分がこの世に生きていてもいい存在である」という感覚がわからなかった。
 たびたび「死にたいなあ」「消えてしまいたいなあ」と感じてきたし、常に心の底で「いつどうなってもいいや」という捨て鉢な諦念を抱えている。外傷を負うことにためらいが薄いので、自傷行為に走ってしまうときもある。

 自分が生きていてもいい価値のある人間だと思えず、人を傷つけるくらいなら自分が死ぬ、と思ってきた。
 (自分以外の他者はみな尊重されるべき存在だが、自分はそんな価値のある人間ではない、という感覚である)


 原因はだいたい見当がついている。母親がいつも不幸そう(に、私には見えた)だったからだ。

 母は「かわいそう」な人だった。
 父に手を上げられ、言葉で傷つけられ、しかも転勤族で頼れる人が身近にいない。恥や外聞を考えて我慢してしまう性格でもあったため、実家に逃げ帰ることもできなかった。
 そのうえ途中までは専業主婦だったから、金銭的に自立する手段もない。ないない尽くしの環境で、助け合えるのは娘である私だけ。
 そうした状況だとどうなるか。娘にすがるしかないのである。

 父のことで、母が泣く姿を何度も見た。
 ものごころついたときの最初の記憶は、母が父に蹴られて倒れ伏す光景である。
 私がある程度分別のつく歳になれば、何くれとなく父の愚痴や気に入らないところを聞かされた。
 母はいつも大変そうだった。幸せそうには見えなかった。


「私がいなければ、母は離婚して自由になれるのじゃないか?」
「私の存在が足枷となっていて、母は何にもできないのではないか?」
「生まれてきてごめんなさい」
「私なんていなければよかったのに」


 たぶん、幼いころから無意識にこうした罪悪感を抱えてきた。だから生きたいと思えない。生きる気力が湧いてこない。

 しかし先日、noteに記事を書いたあと、ふっと冒頭のことばが浮かんできたのだ。
 私って、生きていてもいいんだよなあ、と。

 むろん、だからといって急に元気満々ハッピーな気分になったりはしていない。生きていてもいいんだよなあと思いつつ、やっぱりその感覚がよくわからなくて首を傾げていたりもする。

 それでも、「生きていてもいいんだ」なんてことばが頭に浮かんできただけで、私にとっては驚くべきことだった。想像もしなかった。ぼんやりと、嬉しいような気持ちもしている。


 日々七転八倒で転がりつつ、こうして私の人生は少しずつ進んでいる。
 いつの日か、意識せずとも自然と心かろやかに、楽に生きられる日がくればいいと思う。

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