S・S私が意識高い系を嫌うワケ

マトリョーシカのように大中小と形を変えた自分が
「私」を分担している
仕事のときもそう、使い分けしている

大きなマトリョーシカは挨拶など礼義をこなす
中くらいのマトリョーシカは共感など感情担当
小さなマトリョーシカは
誰にも告げない機微を抱え、過ごしている

数年前、小さなマトリョーシカが声を上げた
些細な違和感と嫌悪感
最初は彼女が天真爛漫なのかと
「あなた、親だよね」って聞かない振りをした

彼女の評価は、やはり天真爛漫だった
だけど周りの意見に流されず
観察して、検証するために変化球も投げてみた
これらを数回重ねて、実証した

人生の深浅や教養、知識はどんなに誤魔化しても
下から浮き出てしまうもの

薄っぺらい者は薄っぺらい者同士が共鳴し合い
痛みも辛さも人に見せるための
ファッションでしかないのも判った

我が子の苦痛まで、御涙頂戴の道具にする
どうして今すぐ我が子を助けないの?
twitterに書き込むより先にやることがあるじゃない

つるむママ友とランチに行くことが
イジメを苦にする我が子より大事なことなのか

憤りが止まらず「私が学校や児相に通報する」
同じツイートを読む知人に言うと
「ママ友同士が仲良くするとイジメは解決する」
私には納得できなかった

イジメは、子どもが父親に相談して解決に至る
「パパさんステキ♡」の文字でtwitterは完結した

子どもがイジメを受ける、その間
良識派の人々は彼女に忠告したが言い訳ばかりで
彼女のSNSはランチやメイクのことしかなかった

◇◇
私は彼女の薄情さを目の当たりにし
同時に自分自身も内省した
後学のために思考は惜しみなく使えた

人はマトリョーシカのように、幾つもの姿を持つ
だけど本質は見抜かれてしまう
周りが空っぽだと無防備になるものだとも知った

ところで
「軽薄」なのと「陽気」なのは違う
意識高い系が苦手意識を持たれるのは
他人を省みない軽率さも原因にあると結論づけた

あれから時間は流れ、経験は
今後の労働や人間関係に役立つことを願っている