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「孤独と自由」について

「孤独と自由」について


個人が真の自己認識を通して自由を獲得すれば「孤独」「自由」という概念は消滅する。

謂わば、無私の精神、普遍的個性に到る。と、いってもこれはピンキリで各自の天性の能力に応じて意識状態の質というものには微妙な差異がある。

私は小林秀雄を多く引用する。

彼は無私の精神を獲得した。故に、彼は彼自身の事を語る事が出来ない。

自分ではない他者を通してしか語る事が出来ないのである。これが理解出来ぬ人物は「何故自分自身の表現をしないのか?」と考え、或いは問う。

所謂、一般で言う「孤独」というものは表現者にとっては宿命である。常に未知の領域に踏み込んでいくからである。自由な精神に到れば前にも書いたように孤独も自由という意識も融合する。一切の概念は生きた有機体の如く変容する。

小林秀雄が「己の宿命と刺し違えた」或いは「自分の残骸を漁るだけだ」等々。

無論、自分の宿命と刺し違えるだけでは生きているという事にはならぬ。この地点からさらに歩を進まなければならぬ。これが「呪われた道」という意味である。

この物質世界での一切の尺度が消え去れば自らが自分自身で「尺度」を作らねばならない。

此処からが真の「創造」が始まる。

小林秀雄が言った、「芸術家は最初に虚無を所有する必要がある」と。これがスタート地点となる。

日常生活に於いて、創造的即興精神が不可欠となり、常に新たな、未知なる表現が為される。

人間関係も然りである。

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