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「私の数少ないコレクター」

「私の数少ないコレクター」

私が31歳の時に故永井克孝氏と出会ったときの事。

銀座の小さな画廊で個展をしていた時の事である。
私の作品を気配を消して観ていた人物がいた。
作品を観ている人物の立ち居振る舞いを観ればその人物の精神性、感受性が分かる。
彼は私の作品の中に入って観ていた。

私はその姿を見て、この人物は玄人の眼を持っていると感じた。

私は人物を観れば瞬時に相手を洞察出来る。

私と出会ってから彼は私のコレクターになった。

、、時々食事もご馳走してくれた。
私が40歳の時に肺結核で入院した時も多忙にも関わらず見舞いに来てくれた。
彼と一緒に撮った写真もあるのだが、引っ越しの時に段ボール紙に入っていると思う。(下記に張ったサイトのウィキペディアに彼の写真がある)

今でも時折、彼の事を鮮明に思い出す。

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 私が銀座の小さな画廊でグループ展を開催している時に、ある人物が私の絵の前で気配を消して凝視していた。

 私が持ち回り当番の時である。私はこの人物は相当観る眼を持っていると感じた。そしてお茶を勧めると、彼は「この作品はどなたのですか?」と聞いた。その作品は私のですと答えると、彼は「ああ、やはりそうですか」と。彼は当初、自分の職業を明かさなかった。痩身だが、明晰な眼差し、頭の周囲には透明で涼しげな空気が漂っていた。
「私が大学の先生ですか?」 と聞くと「ええ、まあ、生化学を教えています」と。
 私は「東京大学でしょう」と言うと、若干羞恥の面持ちで「そうです」と答えた。通常は相手が東大の教授であると知ると引くであろう。彼はそれを体験上知っていて身分を明かしたくなかった。彼は私と話をしている中で「私の作品を購入したい」と申し出た。以降、永井克孝氏は私の数少ないコレクターになった。
 永井克孝氏も現代の文学や芸術の衰退に憂いを感じていて才能ある作家を自分の足で探していたのである。彼を知っている人物から聞いた話であるが、彼は生徒に対して「自分自身の野心のための研究などする人物は私の教室には要らない」と常に言っていたという。(拙著「自叙伝」より抜粋)


*永井克孝氏は私の画集の紹介に快く応じてくれた。




或るサイトから借りた画像 (在りし日の永井克孝氏)


*永井克孝氏



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