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「表現の本質と人間存在の本質について」


 仰々しい表題である。だが我々は人間存在として生存していく以上この問いから逃れることはできない。否、逃れようにも逃れられないのである。
 仮に我々に思考というものが備わっていなければこの問い自体が成立しない。
ただ単に動物以上でも以下でもない、というにすぎない。無論この考察、認識自体も生じ得ない。
もし我々に思考という道具が備わっていなければ自己認識、つまり私・自我意識は生じえないからである。くどいようだが自我意識が無ければ世界そのものの認識、自覚は生じ得ないのである。
この考察は、私が前から何度も繰り返して言い続けている内容である。

 自明だが、私という自覚が無ければ世界も他者も認識の対象たり得ない。
 我々の用いている思考とは単なる個人の所有物でもない。我々人間に本来備わり用いている普遍的な「思考存在・実体」でもある。この思考そのものの考察が頗る重要な問題にも関わらず、今日の時代に至っても考察の対象にされていないというのが実情なのである。
 我々は如何なる時にでも思考を用いている。思考の結果、我々は様々な、或いは各個々人に相応しい言動に及ぶ。
 この思考に関する考察という問題は共通の意識状態、基盤に立たぬ限りは限りなく紛糾する。思考そのもの、思考の実体を物の如く指し示すことは出来ないからである。この考察自体が其々各自の主観に基づくもののとして簡単に処理されてしまう。此処に紛糾の問題が含まれているのだが、これは感覚界にあるあらゆる事物を知覚するようには知覚できない、という単純な理由による。
 万人が共通に認識し得るような数量化不可であるという、これまた単純な根拠に依る思考法が殆どの魂を呪縛しているからである。これを物神思想とも言う。この物神思想とは唯物論的世界観的思考法を基盤とした極一般的な私を含めた世界に対する認識法なのである。この呪縛を打破するのは容易ではない。
 私が死ねば知覚する「主体」である「私」は消え去る。私が消え去るとすれば「知覚する私」が存在しない以上は世界を知覚することは不可能である。ゆえに「私が消滅すれば世界も消滅する」という彼の有名な唯物論的基盤に立脚した観念的世界観が生じる。この世界観は今日でも衣装、概念は違えど殆どの哲学者と称する存在達の魂に根深く巣食っている。この世界観が既に日常的に、習慣的に用いられている。
 
 さて、これは日常生活を営む人々、存在だけではなく芸術表現する存在達の魂をも深く浸食しているのである。
 近代から現代に至るまでに個々人を襲った受難劇とも謂える悲劇劇は今や意匠となって芸術を蹂躙しているといっても過言ではあるまい。

 先日或る先駆的抽象画家に対して知名度のある学者と文学者がテレビで語っていた。実名を挙げても大して意味はない。殆どの自称他称博学、識者と称される人物の代表のようなものだからである。

 抽象表現形式が生じた要因は必然的なものである。これは思考の考察にも似た困難な問題を含んでいる。
 簡単に言えば、無知の知や不立文字、相対的意識、虚無、空等々の概念、意識状態と同質の意識状態、或いは自己認識の個人の限界の自覚であるが、これは到着点ではなく此処の地点が真のスタート地点である、と言えば大抵の人物の思考は混乱する。単に事物を公平、純粋に偏見なく観る一視点にすぎぬ、と言い切れば反感さえ抱かれるであろう。
 さらに換言して言えば「我々はやっと自己認識の真のスタート地点に立ったのだ」と。この物言いは「おまえは何様のつもりだ、偉そうに」と。傲岸不遜極まりない人物と看做される。
 我々の時代に至って、あらゆる境界は消失した。この消失は個人の魂に内的倫理的な課題を自らが背負わなければならぬ、という自己責任と自覚が伴う。
 この自覚は個々人の趣味趣向や個人的興味なども完全に消滅することを意味する。この個人の受難劇はあらゆる表現形式に及んでいる。この重責に耐えきれずに殆どの先駆的表現者は斃れた。この難破、方向を見失い自滅した魂の「表現者達の作品」を一瞥すれば分かることである。
 この難破した状態は依然として打破されずに百花繚乱の如き様相を呈している。


 2009年7月29日

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私の簡単なプロフィール履歴です。

梅崎幸吉 略歴

1950年 福岡県に生まれる。
1964年 画家になる決意をし、中学卒業後、独学で絵画を始める。
1965年 グループ展、個展開始。
1971年 東光会展、二科展入選。
1972年 第4回日展入選。
1978年 昭和会展招待出品(’79 ’80 ’81)。
       第2回日洋展入選。
1979年 第3回日洋展入選。日仏現代美術展入選。
       日伯展入選。セントラル美術大賞入選。
1980年 ホワン・ミロ国際デッサンコンクール展入選(’81、’82、’83、賞候補3回)。
       (バルセロナ・ミロ美術館)
1982年 毎日国際美術展入選。
       日仏現代美術展、ロイユー賞一席。(パリ・国立グランパレ美術館)
1985年 銀座にてギャラリー・ケルビームを開設。(1994年閉廊)
1987年 天理ビェンナーレ入選。
1990年 第8回上野の森美術館大賞展、佳作賞(~’96年連続入選、賞候補2回)
       毎日国際美術展入選、日洋展優秀賞。
1996年 高田馬場にてギャラリー・ケルビームを開設(故阿部勉氏の古書店と同空間・1999年 閉廊)
2002年 『人人展』出品(~2007) 
2004年  第22回上野の森美術館大賞展入選 
2005年  第23回上野の森美術館大賞展・賞候補  作家の視展(上野の森美術館)
       スペイン美術賞展入選(5月サンタンデール市)
2006年  第24回上野の森美術館大賞展・賞候補  作家の視展出品
        「欧美2006年第8回ドローイング・デッサン・版画コンクール」入選
2007年  第25回上野の森美術館大賞展  作家の視展2007~2009(上野の森美術館)
       第15回パリ国際サロン出品
2008年  第26回上野の森美術館大賞展        
       第37回スペイン美術賞展
2009年  第27回上野の森美術館大賞展
第10回日本・フランス現代美術世界展2009(1月)
        第39回アメリカ美術賞展
        第17回パリ国際サロン(ロジエ・ブイヨ賞)
2010年  第19回全日本アートサロン絵画大賞展 (産経新聞社賞)
       第28回上野の森美術館大賞展  作家の視展(上野の森美    術館)
2011年  第29回上野の森美術館大賞展 作家の視展(上野の森美術館)
        2011サロン・ドトーヌ展(フランス)
2012年  第44回欧美国際公募スペイン美術賞展
        第30回上野の森美術館大賞展
2013年  第31回上野の森美術館大賞展
2014年  第32回上野の森美術館大賞展
       2014サロン・ドトーヌ展(フランス)
       第15回日本・フランス現代美術世界展
       第28回パリ国際サロン(フランス)
       プロメテウス展、ケルビーム展出品
2015年   イラン(Imaj Gallery)にてグループ展
       Regency Arts l Al Asmakh International Symposium of Art from 21st February 2015 to 5th March 2015.(カタール)に招待参加
        プロメテウス展、ケルビーム展出品
2016年  ドイツ、リトアニアにてグループ展
       オーステン国際ビエンナーレドローイングコンクール展(マケドニアスコピエ)出品

個展・グループ展多数

収蔵美術館「北九州市立美術館」
著書 「小林秀雄論」(JCA出版)  詩集「暗き淵より」(漉林書房)
画集「梅崎幸吉作品集」(ギャラリーケルビーム出版)

*電子書籍
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虚無的世界観からの超克 ――未知なる道を歩む魂へ捧ぐ――

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