見出し画像

自分の声の大きさを整えて、自分を語ること。

美容院に行ってきた。実は半年ぶり。
一生懸命調べて、私の好きな韓国っぽいヘアスタイルを得意とする方にお願いした。
落ち着いていてラフな感じの、柔らかい雰囲気の方がいいなと願い少しドキドキしながらお店を訪れた。
たくさん話しかけられたり、堅苦しかったり、がやがやしている場所は最近苦手だ。疲れてしまう。うーん、お店選びは難しい。

結果、私の生きる速度に合う空間かつ美容師さんでとても助かった。
よっしゃ、と心の中でガッツポーズした。

その方は、声量があまり大きくなく、声のスピードもゆっくりめ。とてもソフトなお声だった。そして、ヘアメンテナンスについても的確に教えてくださった。
あまり疲れずに美容院を出られることは珍しい。安らかな気持ちで一人、ランチを食べにカフェに出かけることができた。

なんで私が快適でいられたのかなあと振り返ってみる。
話す内容よりも、一緒の空間で過ごして楽にいられるかが決め手だった。
リラックスできたのは、その方の所作だったり醸し出す雰囲気だったり、お店の空気感だったりした。
BGMは洋楽を落ち着いた曲調にアレンジしたもので、なおさらこころを急かさせるものではなかった。

わちゃわちゃした空気に合わせて擬態したり演じてしまう私にとっては、そういった心落ち着ける場所の存在が不可欠だなと改めて思った。
等身大の自分でいられる、リラックスできる場所。
カフェ、本屋さん、自分の部屋もそうなればいいなあ。

では、私自身はどうありたいんだろう。
擬態する自分も自分だけれど、最近はリラックス状態の自分の所作や行動に迷ってしまうことが多い。

自分のエネルギーを消費しすぎないために等身大を演じて自分の境界線は守りつつも、その分を興味のあることや場所、ひとに回して歩みを進めたいと思う。

私は疲れやすい。過集中の傾向、そして、自分が評価されたい一心でより大きな自分に見せてしまう傾向があるからだ。

過集中は癖のようなものだ。
音楽をしていたせいか、音楽を一心不乱に練習するように勉強を追い込んだり、遊びにもそんな調子だ。
ひととお話ししていても、そのこと以外を考えることは難しい。大きな雷が鳴ろうがおそらく気づかないと思う。

そして、怒られたくない・評価されたいという感情。
常に他者評価に依存して生きてきたからからか、自分が自分を評価して喜ぶより、他者からのそれのほうが嬉しいと思ってしまう。
それこそ美容院の客として行っても、客として扱いやすい人間であろうとか、そんなことを過剰に考えてしまったりする。
自分を優先したらいいところ、”迷惑をかけない”ことばかりが最優先事項になってしまうのだ。

だからこそ、自分がどうしたいかより、他者にとって自分がどうあったら都合がよいかばかり考えてしまう
そんな自分では私はぐったりと疲れてしまい、また寝たきり生活に逆戻りだ。

それでも、この文章を書いていても、私自身がどうありたいか問うたとき
”一緒にすごすひとがリラックスできて、かつなんだかエナジーを与えられる人でありたいと思う”
と最初に書いてしまったのだ。考え直し、一度消して書き直した。

思考の癖というのは恐ろしい。
自分の癖に気づいていながら、何も考えずに書くとこうなった。

だが、それが今の私なんだと思う。
まだまだプライドも理想も高くて、未来を想像するのが好き。
大人びてみたいし、自分の主張を尊重できて、もっと人の目を気にしないで堂々と生きたい。
でも、まだまだ不器用で、何回失敗しても同じようにだらけてしまうし、一つの失敗にくよくよしてしまうし、自信がないと何もしたくなくなる。
25歳って本当に難しい年齢だと思う。

そんな不完全な自分の存在を表現することが、まわりまわって本音と建て前のはざまで生きづらさを感じる人たちのエナジーになるのではと思う。
だから、まずは自分が生きたいように生きる。
不完全な自分を大きくも小さくも見せず、ただ自分の声量で自分を語りたい。
私は、デモのように大声で自分が生きづらいなどと自分の主張をしたいわけではない。
かといって、自分の意見なんて他者の意見に比べたら取るに足らないなんて、そんなことを思ったことは一度もない。ただ意見をするという言語化が苦手なだけだ。

消えたいときには消えたい。疲れた時には疲れた。わからないときにはわからない。お手洗いに行きたいときは行きたいと語りたい。
そう思う。

私は孤独で、自分が等身大の自分の声を出す練習のできる居場所を求めている。
生きづらいといえる場所、生きづらさを語れる場所、討論ではなくひとと意見を交わせる場所。ひとと語り、考えられる場所。
そうだ、私はとっても不器用で、生きるのが得意ではない。
自分を優先できる人を見るとうらやましいなって思ってしまう。

あえて自分を語ってみるとこんな感じだ。
まだまだへたくそだけれど、ゆっくりとおずおずと言葉を増やしていこうと思う。

よく、年を重ねたら自分の限界が見えてきて、おのずとプライドや上昇志向はなくなる、みたいな話を聞く。
なんだか、うーんと首をかしげてしまう。
確かに、体力や経済面、家庭の事情などによる限界はあるけれど、だからといって理想や自分を見つめなおしたい、よりよく在りたいという感情は消えるだろうか。
正直わからない。わからないから、いろんな人に聞いてみたいと思う。
もしこの問題を年を重ねることで自然に解決できると考えたら、今ここまで向き合う必要はないのだろうか。

少し主題から外れてしまったので、本筋に戻る。

自分から少し遠い理想論も大切だけれど、まずは自分がどうなのか・どう思うのかをおずおずとでも口に出せるようになりたいと思う。
わからないならわからないと、言えるようになりたいと思う。
そんな所作や言動や行動一つ一つが、いびつな私をかたどっていく大切なパーツで、愛しいと思える自分になることを信じて。
まずは言葉に、行動にしていくところから始めたい。


今回もお読みくださりありがとうございました。
最後になりましたが、ヘッダーに素敵なイラストをお借りしています。ありがとうございます。