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「多様性」の時代といわれているからこそ、私は自己理解を深めたい

大昔から人には個性はあるだろうけれど、今はより、それがいろいろな人・もの・情報から影響を受けやすくなって、揺らいで、精神的に不安定になりやすい社会だと感じる。

私は、つい最近まで自分の課題ばかり見つめてしまう特性の怖さに気付けず、自分は消えたほうが楽なのではとまで思った時期もあった。
私がそう思った理由の一つに、インターネットや「多様性」が尊重される社会があるのでは、と思っている。

精神的にダメージを受けている人が増加しているとされるなか「最近の若者はメンタルが弱い」「自由ばかり主張する」なんて声もあるらしい。

いや、実は今の世の中って結構複雑なんだ。過去の社会が複雑でなかったと言いたいわけではない。

「個性」とか「アイデンティティ」を理解しないと、生き方の指針がなくて結構辛いんだ。とくに、小さい頃から気を遣って空気を読んで生きてきた人たちには。
いざ社会の大海原に立ったときに、急に「あなたのしたいことは?」と問われても?ばかりでてしまう。

だからこそ、自分を深く理解して、自分の思いに沿った生き方をすることで、心理的負担を減らすことができると私は思っている。

※以下で提言していることはわたし個人の考え方なので、読んでくださる方はそのようなことを頭の片隅に置いて置いていただけると幸いです。


インターネットでは触れたい情報に好きにアクセスでき、SNSでは自分の見たい情報が多く流れる。
新しい文化の変遷も早く、文化のバリエーションも多い。
人々は自分の趣味嗜好を取捨選択する自由があり、ネットを介して好きなコミュニティに属して生きていくことが容易くなった。

ジェンダーや国籍のみならず、価値観や趣味嗜好を含めて個人が尊重されるといわれる多様性の時代が今らしい。

それって、とっても自由で素敵だ。
自分の信じること、思っていることを自由に表現できる。

インターネットの海の中で、自分に合うと思う趣味を探せる。
生きがいが見つかる。
リアルの世界では出会えなかった、自分と合う人に出会える。
コミュニティが生まれる。新たな人との繋がりができる。
運が良ければ、そしてそういったことに長けていれば、自分の主張や能力を世に広めることもできる。
新たなビジネスが生まれる。
お金持ちになれる機会が広く生まれる。
何より、かつては社会によってその声がかき消されていた、生きづらさを抱える人々の声が、今までそういった方々の存在に気づいていなかった人々にも少しずつ届くようになってきた。

多様な「人生の目標や生きがい」を持つ人々それぞれに利点は数多くあるだろう。
私自身、こうしてnoteという世界で自分と似た価値観を持つ人々と出会い、ほっこりした時間を過ごせている。

一方、こういった多様な人々の存在がより目に入りやすくなった社会の中で「自分」の存在意義に疑問を持つことがある人も少なくないと思う。私はとくに、SNSを介して感じることが多かった。

自分の趣味で努力していても、ネットの世界では身近に自分よりも上手にできる人がいて、劣等感を覚えた。
私はこんなに苦労しているのにと、周りの人が楽しそうなのを見ていると嫉妬してしまう。
SNS特有の距離感でSNS内の人と関わっていると、人の良いところだけが見えてしまって自分の劣っていることが照らされてしまう感覚があった。

そして一番私が難しいと思うのは、インターネットが普及したことによる「選択肢の多さ」とそれに伴う決定回数の多さ、多くの場合一人で選択しなければいけないという責任の重さだ。

まず、スマホを持っている人々は、人々が生きている間に触れられる情報が、インターネット普及前と比べて圧倒的に増えた。
純粋に「今自分が何をしたいか」という行動の選択肢が、SNSやPCゲームなど、ネット内のいろんなサービス分増えていることになると思う。

趣味嗜好がまるっきり一緒という人がほとんど存在せず、家族にもそれをシェアしない人も多い中、自分の責任で限られた時間を何に費やすかをたくさんの選択肢から決めるというのは、とても難しいことだと思う。

「人生は選択の連続だ」というが、その頻度が高くなっているのではと思う。

そして、SNSなどの自分の所属する特定のコミュニティでは、価値観が似たもの同士で交流し合うために特定の考えが増幅する「エコチェンバー現象」が起きやすい。

偏った考えが自分の人生が豊かで幸せだと認識させるのなら全く問題がない。
ただ、それ以外にももっと自分を豊かにすることがあるのに、自分の価値観が別にあるのに、その時間がコミュニティに属していること、その存在に気づかなかったり、自分特有の考え方を無意識にも意識的にも殺している可能性があるのも事実だと思う。

加えて、SNSやネット依存については多く議論があるほど問題になっている。

私自身、心理的に不安定になった時や体が疲労しているときには、意識せずYouTubeやSNSを見ることが習慣になっていたと休職して気づいた。
一旦現実逃避をして、また落ち着いた頃に問題に帰って来ようと。

そうすることはすごく容易いが、無意識にそういう行動をしてしまうと、現実の問題に立ち返るのは結構難しい。
身近にインターネットがあると、体が勝手に動いて、SNSやYouTubeを優先してしまい、自分が本当に何をしたいか見失わせる危険性があると、私は気づいた。
心理的に不安定なときはなおさらだ。

本来は、意識的に「心理的に不安定だ」「疲れている」と認識して、例えば休息を取るとか、人に相談するとか、そういう選択肢が取れることが望ましいだろう。

インターネットに逃れてしまうと、そのときは問題から目を背けることができるが、ふと現実に立ち返らなければならない時には心理的な負担が復活する。
そのしこりは知らぬ間に溜まっていって、気付かぬうちに心の多くを黒く塗りつぶしてしまうと思う。

行動の選択肢は自分自身についてだけではなく、他者についてもそうだ。
Twitterで愚痴を言っている友人がいたとして、大変そうだから電話をするのか、メッセージで聞いてみるのか、はたまたいいねで終わらせるのか、リプライをするのか。
とくに、リアルでのコミュニティがそのままSNSでも存在している人も多い学生世代にとっては、向き合わなければいけないとても深刻な問題だと思う。

当たり前のことを言っているようで、実はこういった一つ一つの選択にはとても労力がかかって、疲労してしまうと思う。
よく習慣が大事だというのは、日々の決定回数を減らすことが人生の負担を減らすことに直結しているからだ。

このように、インターネットによって広まった、個人の自由が増えたとされる多様性が謳われる社会では、人生の選択肢が多くなったことによる弊害が多いと思う。

そんな中で、より心理的負担が少ない形で人生の選択をスムーズに行うために、自分の存在意義を疑ってしまうような心理的に不安定な状態に陥らないためには、「自分が本当に何をしたいかを知る」自己理解を深めることが重要だと思う。

自分はどういう行動をしているときに本当に心が満たされるのか。幸せなのか。
コミュニティに属していないフラットな自分の価値観はどうなのか。
心理的安全性を感じられる場所や環境はどんなところなのか。
どんな人と関わっていると自分らしくいられるのか。
自分が嫌だと思うことはどんなことか。

人生の多様な選択肢から、自分に本当に合うものを選び抜くためには、上記のような自分について知る機会が欠かせないと思う。
正解を引くことは宝くじに当たるようなものかもしれない。
「最近の人は転職が多い」なんて揶揄されるのはこのせいだろう。
私のように精神的に疲弊してしまう人が多いのも、上記のような理由だと思う。

自分を知ることは難しいから、親や周りの人間など、他人の選択によりかかるという人もいるかもしれない。
私はかつてそうだった。
でもそうしてしまうと、SNSなどで他者の幸せのプレゼンテーションを見たときに「本当は私もこうなりたいのに」とどす黒い感情が定期的に生まれてしまうことになる。

自分の人生を自分のものにするためには、自分に向き合う時間を意識的に確保しないと、簡単に社会の定義する「豊かさ」に溺れてしまう。
正直、溺れないでいるのはとっても難しい。
私自身もまだ沖に上がろうとしている最中だ。

それでも、私は自分のための時間をもっと確保していきたい。
学んで、人と話して、経験を重ねて、自分が本当に何をしていれば幸せなのか、ひたすら追求していきたい。
なぜなら、私自身も変化するから。
経験や人との出会い、学びによって、常に個性は変化する。
そのように自分をアップデートさせて、多様性の中でも分断のヒビを深めないようにする努力もしていきたいと私は思う。

そして、まだ未発達なこころのままでインターネットの波に日常的に揉まれる子どもたちが、いかに生きづらさを感じやすいか、学んでいきたいし、広めたいと思う。

今精神的に辛い思いを抱えている人に「あなたのせいじゃないよ。他にも理由がたくさんあるよ」と伝えたい。
私も、なんでこんなに自分が生きづらいか考えた結果が今回の持論で、とても救われる思いがした。

こんな社会で。
「自分」が埋もれやすい、いろんな人がいろんな自分を抱える社会で。
如何に自分を愛することが難しいか、自分の幸せを探すことが難しいか。
アイデンティティについて考えることが不可欠になってきているか。

そんなことを伝えられる人に、精神的に生きづらい社会だと感じている人がもっと生きやすくなる社会にするために。
私はそんな思いで、まずは自分を愛するために、自分への理解深めながら、社会に何ができるか考えながら生きていきたいと思う。


とても長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
改めて書かせていただきますが、上記はあくまで持論なので正解などなく、私個人の生き方はこうだと捉えていただけると幸いです。

そして今回も素敵なイラストをお借りしています。ありがとうございます。

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