子が歩き、子育ては祈りの連続だと気付いた
エン様(子どものあだ名)が、1歳3ヶ月にしてようやく歩いた。
ふにゃふにゃの赤ちゃんが、むちむちになり、コロコロになり、ずり這いをし、ハイハイをし、つかまり立ちをし、伝い歩きをし、とうとう歩いた。
その感動で、何度思い出しても泣ける。頑張ったね、いっぱい練習したもんね、おめでとう。成長おめでとう。
9月から2ヶ月半ほど、私と夫は「早く歩いてくれ〜」が口癖だった。エン様が歩く練習を始めて、最初は後ろから中腰で脇を支え、両手を持ち、片手ベビーカー・片手つなぎになり、片手つなぎだけになり、歩く練習に付き合った。腰がきつかった。特に夫は身長が高いので、小さなエン様を支えるのは本当にきつかったと思う。
エン様はずっと成長曲線上限ギリギリを攻めるBig babyで、1歳3ヶ月にして82cm、12kg。大きい子は運動面の発達が遅れると聞いていた。ずり這いもハイハイも遅かった。保育園の同じクラスの子は皆歩いているのに、1人だけまだ自分で立てなかった。こんな巨体を動かすのは大変だ、と親が見ていてもわかった。ハイハイを長く見れたのはよかったけど、巨体を抱っこするのは大変で、早く歩いてほしかった。
10月に一度自分で立ったが、突発性発疹と熱性痙攣をやってから、立たなくなってしまった。合計3週間ほど体調不良だったし、熱性痙攣で脳内スパークした影響もあって立てなくなったのかもしれない。
歩く予感はあった。日に日に、少しずつ私に頼ってくる力加減が弱くなってきて、手をつないでいたらかなり長距離歩けるようになった。でも、なかなか自分で立とうとはしないし、私が手を離すとすぐ座り込むし、歩くまでの道のりは長かった。
ある日、プレイマットの上ですくっと立った。立った!
エン様が歩いて私のところまで来た時、あぁ、頑張ってよかった、と思った。
頑張ってた自覚はなかったけど、私頑張ってた。夫も頑張ってた。その頑張りが、報われた。2人でとっても喜んだのは、私たちが頑張ってた証だと思う。
同じ時期に、エン様は絵本を読まなくなっていた。私が絵本に触ろうとすると「イヤーーー!」と怒るレベル。絵本を開こうものならイヤイヤ喚いてバン! と閉じる。
私は絵本が大好きで、1日10冊とか読みたいのに、絵本を読んでくれない。ぶっくくらぶで毎月2冊絵本が届くのに、読まずに本棚のこやしになってしまっている。たまたま先輩ママからどっさり絵本をもらったのに、読ませてくれない。友人から秋にぴったりの絵本をもらったのに、読ませてくれない。
絵本を読めないのがつらい(私が)。ここに素敵な物語がいっぱいあるのに、日本語の音がたくさんあるのに、エン様は聞く耳を持たない。
以前受けた絵本講座で「読み聞かせをしないと子どもが聞ける語彙は親のものに留まります。絵本を読むことで、子どもは親の使わない語彙に触れられます」と言われた。『語りかけ育児』の本でも、言葉のシャワーを浴びせるようにと書かれている。
なのにエン様が絵本を読んでくれないと、ブーブー、ガタンゴトン、ワンワンくらいしか私も言えない。言葉の世界が広がらない。繰り返すが、私がしんどかった。
それがある日突然読んでくれるようになった。私が読んでいるのを膝の上でおとなしく聞いている。ページをめくる。犬が出てきたらワンワン、ワンワン、私が気付かないような小さな車の挿絵に気付いてブーブー、ブーブーと言っている。『どんないろがすき』では黄色が好きらしい。多分ブーブー(バス)の絵だから。
歩くのにしろ、絵本にしろ、私は何度も「1歳 歩かない」や「1歳 絵本 読まない」で調べそうになった。本当のところ、ちょっと調べた。
エン様より頭一つ分小さい子がたったか歩いたり走ったりしているのを見ると、キュッと胸が痛くなった。
絵本が好きで自分で読む子の話を聞くと、モヤがかかるような気分だった。
でも歩けない子に歩けと言っても無理な話で、絵本嫌がってるのに絵本読んでも無意味なことはわかっていたので、私はひたすらエン様の手を持って歩く練習に付き合い、絵本以外の遊び(ほぼ電車と車)をした。
それが、ある日突然歩き、絵本を読むようになる。これが子育て、か。
「1歳 歩かない」や「1歳 絵本 読まない」でググっても、そこには答えはない。じっと子どもの成長を待つしかない(医学的に問題がある場合を除いて)。
歩く練習のために両手を支えてあげてる時は「歩く練習を手伝ってあげている」とかいう思いがあるわけではない。子どもの存在が自然に、親を動かす。親は「私頑張っている」とわざわざ思うわけではないけれど、子どもが歩くようになった日、自分が頑張っていたことに気付く。
これが祈り、か。祈りが報われるって、今この瞬間のことか。そんな気付きがあった。
いろんなママさんを見ていると、皆それぞれの方法で子どもを愛している。フルタイムで働く人も、時短の人も、専業主婦の人も、子どものことを思って、あれこれと手を尽くし、一生懸命。これが良いのか、あれが正しいのか、悩み葛藤しながら子どもと接している。皆、子どものことを祈っているのだ。
以前、てぃ先生が動画でこんなことを言っていた(ニュアンスなので細かい部分は異なるかも)。
頑張ってるくせに、というパワーワードが心に残った。私たちは常々頑張ってるのだ、自覚なしに。
歩けることは、当たり前ではない。受精から胚発生、妊娠・出産、生まれてからの発達、歩くまで無事に育ったこと、全て奇跡的確率がかけ合わさり、歩くところまで来た。それは本当に喜ばしいことで、おめでたい。
私たちはこれからもたくさん子どものことを祈り、手を差し伸べ、悩み、疲れ、ある日突然報われる、ということを繰り返していくのだろう。1人できれいにご飯を食べられるように、トイレに行けるように、イヤイヤの感情と付き合えるように、お友達とうまくやれるように、字が書けるように、計算ができるように、小学校へ行けるように、その後もずっと……。
毎回泣くほど感動してたら身がもたないけど、それでも毎回感動したい。
子どもがいなければ知らなかった、祈りのかたち。エン様、教えてくれてありがとう。
全てのママパパ、頑張ってる。お疲れさま。明日からもまた頑張りましょう。
「私子育て向いてない……」とか思ったら、頑張ってるくせに、というてぃ先生の言葉思い出しましょう。
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≪終わり≫
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