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投資#150 考えても分からないことはある


書籍の情報

タイトル:あり方で生きる
著者:大久保 寛司
出版社:株式会社エッセンシャル出版
発行日:2019年11月11日

読書抜粋


人はなぜ生きるのか?
人は死んだらどうなるのか?
若い時に、随分と悩みこみ、考えた時期があります。
そこで分かったのは、私がこのようなことを考えても、わかるようなことはない、ということでした。
ただ一つ強く思ったこと。
死ぬ瞬間に自分の人生を振り返るだろう。
その振り返る時に、自分の真心で、自分の人生を観て、〇がつけられるように生きたい。
これが10代の時に出した、自分なりの人生観でした。

「大久保さん、そうは言っても、自分自身を曲げたくなること、上司の意向に沿った方がいいと思って、そのようにされたことはないんでしょうか?」と訊かれたことがあります。
ありません。
「なぜ、そんな風にできるのですか?」
死生観からきた考えだから。
自分なりの人生観からきた考えだからです。
「人はなぜ生きるのか?」
そのことを10代で散々問い詰めて、分からないなりにも、その時、深い悩みから決断した思いが、基本の軸にあるからだと思います。
人は生きていると、毎日、一瞬一瞬、選択の連続になります。
何を選択するのか?
その前に選択する基準があります。
人生の岐路に遭遇した時、どちらを選択するのか?
その時にも必ず基準があるはずです。
基準がない限り、決断はできません。
他者から自分への評価が、優先順位でトップの人は、そちらの方向にすべて家事を切っていきます。
しかし、そのような生き方をして、人生の最期に〇をつけられるのか。
私の感覚では、〇はつけられないのです。
ともかく、人生の最期に自分自身で〇をつけられるような生き方をしたい。

70代になった今も、この基本は変わっていません。
今のところ△です。〇はつかないんです、それどころか、かえって△になるような自分が見えてきています。
まずいです。70歳になった今でも〇はつきません。
いつになったら〇がつくのか?
〇を目指して生き続けたいと思います。

50 死ぬ時に、自分の人生に〇をつけられる生き方

感想


人はなぜ生きるのか?
人は死んだらどうなるのか?
若い時に、随分と悩みこみ、考えた時期があります。

50 死ぬ時に、自分の人生に〇をつけられる生き方

同じような経験を
した方は多いのでは?
と推測します。

私もそうです。

で、分かったことはあるのか
といいますと、ありません。

一時期、悩むのですが、
悩み事はそれだけではありません。

他の悩み事にかき消されて、
そのあとはしばらく悩まなくなります。

自分の人生を観て、〇がつけられるように生きたい。

他者に〇をつけてもらえる
ではなくて、

自分で〇をつけられるようにです。

死生観から出てくる基準を
持つことはいいことだと思います。

20代の頃もそんなことを考えて、
怪しげなセミナーに参加しましたが、

墓碑銘を決めて、
それを刻めるように
生きよう!

そんなことに感銘を受けていた
時期もあります。

そんなときにまた変わった人と
友だちになりました。

「俺は、「自分がブレること」
に対して、ブレない」

なんか難しいこと言ったなと
思ったのですが、

周りに流されるぜ

と言ってただけでした。

でも、面白いなと思いました。

いろいろな人がいるので、
基準もまたそれぞれに
なるのだなと。

この友人の基準は、
死生観から来ているものなのか、
信念なのか、
由来はよくわかりません・・・。

さて、明確な基準を持って、
70歳を超えた著者も、
まだ〇がつけられない
のだそうで、

人生は一生修行なのかもしれません。

また、私の祖父は90歳を
超えていますが、
人生に満足しているようです。

70歳以降で〇がついていなくても、
90歳にもなると〇がついている人
があるのかもしれませんね。

まとめ

考えても分からないことはある


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