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やさしくなりたい

電動自転車にはじめて乗った日、私は「他者を追い抜く快感」を、文字通り身を持って知った。

軽く踏み込むだけで、ぐんと加速する電動自転車は、登り坂で苦心している見知らぬ誰かをスイスイと追い抜ける。すれ違いざまにチラと横目で見られることもまた、とても新鮮な心地良い体験だった。

幼い頃から駆けっこが苦手だった私は、運動会や競争で誰かを追い抜いたためしがない。あっという間に追いつかれ、追い抜かれていく時の、泣きたくなるような絶望感。前を行く背中はどんどん遠くなり、ゴールまでの距離が永遠に思える。

いつしか大人になって、駆けっこの速い、遅いを問われる機会はなくなり、取り残される淋しさを、私はいつの間にか、すっかり忘れてしまっていた。
電動自転車は、そんな私に、全く逆の意味で他者と競争することを思い出させた。そして大袈裟に言うと「勝つことの快感」を与えてくれた。


むやみやたらに自分と他者とを比べることの無意味さを、私たちは、もうとうに知っている。人生は、勝ち負けでもなければ、優劣でもない。一人一人にかけがえのないストーリーがあって、そこで一生懸命に生きていくしかないのだ。

……それなのに、現実はどうだろう。
隣の様子はやっぱり気にかかるし、他の誰かが褒められれば、祝福しつつも心がざわざわする。
比べて、勝って、安堵したい、という根源的な欲求に、誰もが多かれ少なかれ振り回されている。

そんな自分にうんざりして、私は遠い昔に、心にしっかりと重い蓋をした。そうして、そんな感情などまるで知らないかのように、自分を騙し続けて生きてきた。


発達性トラウマ障害愛着障害ゆえなのか、私はこれまで、とても不器用な対人関係ばかり結んできた。
それは、極端に依存してニコイチとなるか、あるいはごく表面的な交流のみで、心の中に一歩も立ち入らないような親密性の回避か、そのどちらかだ。

私は今でもよく「やさしい人ですね」と言われることがある。
それは私が、主に親密性の回避によって、感情的に怒鳴ったり、挑発的に煽ったりしないことを指しているのだろう。確かに、これまで私は、声を荒らげて誰かを罵倒したり、掴み合いの喧嘩をしたことがない。

どれほど相手の言動を不愉快に思ったとしても、大抵の場合は我慢して合わせてきた。とにかく、人と争うことを避けたかったからだ。
だから、この場合の「やさしさ」は「気弱さ」と同義語だ。

それでもなお、そんな努力も虚しく、私は時折、とことん嫌われて辛辣に罵倒されてきた。


「○○くんと話さないで! ブスのくせに!」
中学生だった私は、イジメ被害者の視点でしか考えられなかったけれど、今から思えば、人気のイケメン男子と委員会活動のために親しげに話すことへの、自慢がましい気持ちが心の片隅にあったのかも知れない。
思春期の女子たちは、そういう心の機微や些細な振る舞いに過敏だ。

「あのね、あなた、自分で思っているほど、美人でも魅力的でもないですよ?」
そう知人女性に半笑いで言われた時、私は心底、驚いて、息が止まりそうになった。「自分で思っているほど」と言われても、私はちっとも、そんなふうに思ったことなどなかったからだ。
その人はたぶん「お前が嫌いだ!」ということが言いたかったのだろう。

「この三姉妹の中で、私が一番、キレイだから」
私が物心ついた頃からずっと、私の次姉は、そう言い続けてきた。
所詮、同じ両親から生まれた三姉妹だし、それほどの差異があるとも思えないけれど、当人はいたって大真面目だった。

「私の次がお姉ちゃんで、ちえが一番、ブサイクね」
幼少期から何度となくそう言われ続けてきて、それは洗脳の域に達し、やがて私は、自分の容姿は平均以下なのだと思い込んでいった。
機能不全家庭で育った心の闇を、私が抱えて生きてきたように、姉たちもまた、それぞれに痛みを抱えて生きてきたのだろう。


今から考えると、これらはマウンティングの一種だったのかも知れない。

マウンティングとは、自分の方が相手よりも立場が上であること、また優位であることを示そうとする、行為や振る舞いのこと。特に、対人関係において、自分の優位性を示そうと自慢したり、相手を貶したりすることを指す。

weblio辞書より引用

マウンティングする人は、総じて承認欲求が強く、また自分に自信がない人が多いそうだ。
一方で、マウンティングされる人にも、標的とされやすい特徴があるらしい。人から羨ましがられる要素を持つ、ということはさほど重要ではなく、むしろ自己表現が苦手自己主張が弱い人が当てはまるらしい。


やさしくなりたい、と強く思う。
私にとってそれは、強くなりたい、と同義語だ。
勝ち負けや、優劣に囚われない強さ。
それは、自分で自分を信じることのできる強さでもあるのだ。


毎日を一生懸命に生きている人へ。
たくさん傷ついて生きてきた人へ。
そうじゃない人も。
すべての人へ。

メリークリスマス!


愛なき時代に生まれたわけじゃない
キミに会いたい キミを笑わせたい
愛なき時代に生まれたわけじゃない
強くなりたい やさしくなりたい
愛なき時代に生きてるわけじゃない
手を繋きたい やさしくなりたい

やさしくなりたい / 斉藤和義


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