甘いものとバレンタインデーが苦手だった話

バレンタインデーに対して、あまり良い印象がなかった。年にいくつかあるイベントのなかで考えると、苦手なものとして捉えていた。理由は簡単、甘いもの≒チョコレートがあまり得意ではないからだ。


小学生の頃、学校帰りに仲の良い友達の家に遊びに行った。ゲームボーイアドバンスでぷよぷよで対戦したり、登場人物を決めて寸劇をやったりして遊んでいた。遊ぶことは大好きだったのだが、友人宅で出してくれるおやつが食べられるかどうか問題が、唯一の懸念点だった。嫌いなものがあるというより、食べず嫌いなものが多く、チョコなどの甘いお菓子は特にそうだった。飲みものも炭酸や果実ジュースも得意ではなかったので、牛乳か麦茶か水を選んでいた。

甘いものが苦手な私が困ったのがバレンタインデーだった。ちょうど「友チョコ」の文化が始まったあたりで、毎年何を作るか母とよく悩んでいた。お返しで貰うチョコレートたちをどのように消費するかも、私の頭を悩ませていた。(みんなチョコ系のお菓子作るだろうし、私のような子がいるかもしれない…)という考えから、チョコではなくマドレーヌやチーズケーキを作っていた。手伝ってくれた母も大変だったと思う。

そんな私に転機が訪れたのは、大学生のときだった。名古屋に住んでいた私は友人に誘われて「アムール・デュ・ショコラ」に行った。CMが流れていて(そんなイベントあるんだ)ぐらいのテンションだったのが、初めて会場に足を運んだとき衝撃を受けた。尋常じゃない人の数。あのお店のやつを絶対買うぞ!と決めた女性たちの覇気が漂うタカシマヤの催事場は、まさに戦場のようだった。

殺気だった場所に放り込まれた私は(この場に訪れたなら私も何か買わねば…!)と思う傍ら、(苦手なチョコにあまりお金をかけるのはどうなんだ…?)と葛藤していた。結局そのときはテイクアウトのアイスと、2000円しないぐらいの生チョコを買った。苦手なもの、と思って食べたからだったのか、生チョコってこんな美味しいの!?と感動した。

そこから毎年アムール・デュ・ショコラに行くようになった。数こそ多くないけれど、美味しいチョコ(食べられそうなチョコ)はあるかな?と探すのが楽しく、美味しいものに出会えたときは何よりも嬉しかった。テレビでよくある「甘いものが得意ではない人でも楽しめますよ」という台詞は、本当に存在するのである。


それともう一つ。私のなかで気づいたことがある。

東京に行ったときだった。バレンタインも近かったので、当時気になっていた男の子にチョコを買おうと、丸の内にあるラ・メゾンデュ・ショコラに行った。高級な雰囲気のある店内にものすごくテンションが上がったのと同時に、すごく緊張したのも覚えている。ギフト用になっているものを買おうと思ったのだが、予算との兼ね合いもあり自分でいくつか見繕って買うことにした。

ショーケースに並ぶさまざまな種類のショコラ。ショーケースのガラス越しに見えるチョコは、温かみのあるライトに照らされ、キラキラしていた。そんな私の様子を見て、お店のお姉さんが声をかけてくれた。どんな味なのか、気になるものを聞くとお姉さんが丁寧に答えてくれ、聞けば聞くほど食べたくなった。学生の私に時間をかけてもらうのが申し訳ないと思っていたから、その優しさがすごく嬉しかったことを覚えている。


翌日、彼にチョコを渡した。彼は嬉しそうにチョコをパクパクと食べ、5分もしないうちに食べ終わった。美味しかったよと言ってくれたけれど、なんだかモヤッとしたのを覚えている。嬉しいけど、なんか素直に喜べない。でもまずいと言われたわけではないし、自分の気持ちがよくわからなかった。


昨年、MAISON CACAOのリッチ生チョコタルトを初めて食べた。ビター・ミルク・ホワイトの三種類あり、好きなものは最後に食べたいと思い、ホワイト・ビター・ミルクの順に食べたのだが、最初に食べたホワイトがとんでもなく美味しくて、来年も絶対買う…!と決めた。

地元の松坂屋の催事場でも販売されることがわかり、足取り軽やかにお店に行ったのだが、まさかの売り切れ。「残っているときはお昼すぎまであるんですけど、今日は15分で売れちゃって…」とお姉さんが言っていた。通販サイトも見たけれど「sold out」の文字がうつされており、みんな考えることは同じよね…とがっかりしていた。

そして昨日。再販されたのをお昼休憩中に発見した。これは買うしかない!と思ったものの、休み時間も残り少なかったので後で買うことにした。このときになぜ買わなかったのかとひどく後悔したのが、退勤後の話だ。

悲しみに浸っていてもタルトは買えないので、無印良品で買ったチョコチップマフィンを作ったのが今日の話。キットになっているから大きく失敗はすることはないけれど、生地の入れ方や焼き時間を考えて、どうやったら120点になるかを考えるのがすごく楽しい。何個か焦がしちゃったけど、早く次作りたい!とPDCAを回したくなるのは、お菓子づくりに中毒性があるからだと思う。

そこでふと思う。あれ?私バレンタインすごく楽しんでない?

くだらないことだけど、苦手だと思っていたバレンタインをこんなにも楽しんでいる自分が面白くて、ちょっと微笑ましい気持ちになった。作ったマフィンを祖母に渡すと「ありがとうね」と嬉しそうに笑った。それを見て、昔の私がモヤッとした気持ちの理由が分かった。

あのとき、呆気なく消費されたのが嫌だったんだと思う。

誰かが一生懸命作ったものや選んだものが、いとも簡単に日常に溶け込んでしまうのが悔しかった。自分の気持ちを搾取されてしまうような、そんな感覚だったのかもしれない。

私がバレンタインデーを苦手なのは、チョコが苦手だったからじゃない。誰かの思いが、簡単に消費されるのが悲しかったからだ。

学生時代なんて大人数にあげるから仕方ないことだと思うし、「作ったことに感謝しろ!」とか「お礼くれ!」とかではなく、ただただ消費されるマドレーヌを見て、一緒に作ってくれた母に申し訳なさを感じる自分がいた。日常の一部と化してしまうのではなく、その日の嬉しかった記憶として残ってほしい。ワガママだなと思うけれど、たぶんこの気持ちは蔑ろにはできない。誰かの記事を読んで温かい気持ちになったとか、絵や音楽をじっくり堪能して世界観に浸かったとか、そんな感覚に近い気がするから。


バレンタインデーは誰かにチョコを渡すイメージが強い。相手を喜ばせたい気持ちも素敵だけど、自分で買って作り手の思いを感じることも、試行錯誤しながら自分で作るのも負けないくらい魅力的だ。

社会人になってしまった今、学生時代のように大人数で楽しむようなことはなかなか難しいけれど、自分なりの楽しみ方を見つけることができるのなら、それはそれで最高だなと思った2021年の建国記念日。






※名古屋タカシマヤで開かれるアムール・デュ・ショコラ、人も多いですし、人気商品はすぐになくなる戦場ですが、本当に楽しいイベントなのでぜひ一度行ってみてほしいです。

1人でも多くの人が、自分のお気に入りのチョコとバレンタインの楽しみ方に出会えますように。

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