見出し画像

自己肯定感を上げないという選択


昨日は文字通り、秋晴れだった。

夕方になると、昼間32℃もあった部屋も涼しくなり、西日に照らされたバスタオルを見て、あぁもう夏じゃないんだと感じさせられる。2019年も残り2カ月ちょっとだ。

強い雨風にさらされた台風19号だったけれど、私の近所は無事で、秋晴れにぴったりな穏やかな時間が流れていた。当たり前なことなんて一つもないと分かっているものの、やはり目の当たりにしないと学べないのは人間の性なのかもしれない。できる時でもいいから、当たり前に感謝することは忘れないでいよう。


「自分の機嫌は自分でとろう!」というツイートをたまに見かける。他人に依存して機嫌が左右されるなんてこっちから願い下げ、ごもっともだと思う。

好きなアーティストの音楽を聴き、好きなドラマを見て、好きな本を読んで、好きなものを食べる。いつもより少し長めにお風呂に浸かって、肌触りの良いタオルケットに包まれて眠りにつくのも良い。

気分が落ち込んでも自分の「好き」をかき集めて、防衛体制に入ればある程度のことは乗り越えられるようになった。学生の時よりちょっとだけ自分を守るのはうまくなったはず。

けれど、生きているとそんな上手い話ばっかじゃなくて、どれだけ防御しようとしても無理な時がある。そんなときはどうか支えてほしい。

「仕事してえらい」とか「今日も可愛い」とか「生きててすごい」とか。

辛いとき、他人に甘えて機嫌を整えることを許してほしい。誰かがそうなったら私も支えるから。ただ、誰か褒めることは常にしたいけど、ごまをするような不要不急のご機嫌とりはしないように、ね。


この感覚は機嫌だけではなくて、自己肯定感にも同じようなことが言える。

2019年は自己肯定感という言葉をよく聞いた。それに付随して”自己肯定感を高く持とう”という風潮も強くなったと思う。私も機嫌をとるように、自己肯定感を高く持てるように努めてきた。

先月、「ジャニーズWESTの出世する人・しない人」という番組を見ていた。名刺を持たないアイドルという仕事をしている彼らが、就職活動で行われるような問題と向き合い、令和の時代に出世する人かどうか、を見極める番組だ。

その番組内で自己肯定感にまつわる簡単な診断があった。私のnoteを読んでいる、ということは少し時間に余裕がある人だと思うので、ぜひチェックしていただきたい。

回答はYES/NOで答え、YESの数だけ数えてください。

【A】
1.努力している自分が好き
2.自分より立場の強い人間にもNOと言える
3.失敗しても自分を責めない
4.自分の長所を二つ以上言える
5.鏡で自分を見るのが大好き
6.人を羨ましいと思わない
7.密かに自分はイケてると思っている
【B】
1.人を押し退けてまで成功したくない
2.自分とは違う考えの人を受け入れられる
3.友達とトラブルが起きたら 勝ち負けでなく 妥協点を探す
4.椅子取りゲームは苦手
5.相手が部下や後輩でも敬語を使う
6.誰にでも良いところはあると思う
7.友人の彼氏、彼女を好きになったら諦める

引用元:「ジャニーズWESTの出世する人・しない人」 番組公式サイト

この診断から考えられる出世する人は、A・Bどちらの項目においても、YESの数が4つ以上の「しずかちゃんタイプ」とのこと。(ちゃんと診断したい方は、番組公式サイトをチェックしてみてください!)

この診断では自己肯定感と他社軽視感について知ることができ、Aの数が多い人は自己肯定感が高く、Bの数が多い人は他社軽視感が低いとされている。

ちなみに私はBが5つ、Aは2つという結果になった。低すぎる。(笑) 私みたいなBが4つ以上・Aが3つ以下の人は「のび太くんタイプ」であり、日本人に多いと番組で紹介されていた。自己肯定感を高めよう!というブームが起こる理由が分かる気がする。

とはいえ、最大値を100として考えたとき、もともとの自己肯定感が50以上ある人と20しかない人とでは、話が全く違う。

たとえば、50以上ある人の場合、ミスを踏まえても自分の”できた”を認めることができるんだと思う。ここは悪かったけど、ここは良かった、と。何かができたという達成感は、確実に自分の肯定につながり、上げるプロセスが存在しているはず。

一方で20しかない人、またはそれ以下の人に関していうと、自己肯定感を上げようとすると下がる、もしくは上げるというプロセスの存在すら危うい。経験上、私もこちら側のタイプだ。

先ほどの50ある人の話は私の推測でしかなく、実際にそういう人の価値観を聞きたい。(おそらく、「そんな深く考えないよ」の一言で終わりそうだし、聞く相手を間違えるとこちらが疲れるだけな気もするけれど。)


自己肯定感を上げようと高く持とうとすればするほど、不安にかられる。ぐるぐると考えた末、行きつく先は「自己肯定感を上げられなかった自分」。できなかった自分だけが残り、落ち込んでしまうのだ。

現に、今年の8~9月はそんな状態が続いていた。自分による、できない自分への非難はとどまることを知らない。落ちるところまで落とされてしまう、他の誰でもない自分に。

自分の中で処理しきれなくなり、誰かに話すこともできない感情は、他の情報にかき消されるであろうSNSに連ねてしまう。

ネガティブなツイートは、見るだけでも誰かの気分を害す。そんなことは百も承知だ。けれど、倫理とか理性を簡単に超えてしまう感情が存在する。刹那のような衝動的な何かがそこには必ずあるのだ。

そんな近況報告を交えて、友人に話をしたらこんな言葉が返ってきた。

「じゃあ、ここで私が”そうだねそうだね、と頷いて自己肯定感上げていこうね”なんて言っても、翌日から”はい!今日から高く生きる!”ってなれないでしょ?」

続けて彼女はこう言った。

「そこで無理に上げる必要って何?少なくとも自己肯定感高くて、自分ができるって勘違いするよりか全然マシだと思うけどね、私は。」

図星だった。それなり酔っていたけれど、思わずハッとした。世間の流れに乗って、落ち込むぐらいなら無理することないじゃん。


私は自己肯定感を上げるのをやめようと思う。

正確に言うと、無理に上げることはやめようと思う。自分のできる範囲で、低いフィールドで生きる方法を探そう。無理なときは誰かに支えてもらおう。自分で機嫌をとるときと同じように。辛いときはお互いさま精神で生きよう。少なくとも、自分のことを大切にしてくれる人に対しては、そういう生き方をしたい。


25歳を迎え、誕生日の豊富を!と思っていたけれど、今書きたいことはこの話だった。ネガティブな自分を誰かに見せたくないと思っていたけれど、どうやらそろそろ方向転換が必要みたい。もう少し負の自分と向き合いたい。

ダメな自分を見せられるように、見せてもいいなと思える人と仲良くできるように、25歳はできる時にできることをしていきたいと思っています。

これからもよろしくお願いします。





読んでいただきありがとうございました◎ いただいたサポートは、自分の「好き」を見つけるために使いたいと思います。