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#4 大学院か?独立か?ニートか?フリーランスか?

#うなぎの10年 」というマガジンをつくりました。このマガジンは、うなぎの寝床をはじめて10年、地域文化商社ができるまで、それが生まれる以前の思考と経験、そして、会社を立ち上げて以降の試行錯誤の10年を振り返ってみたいと思います。

#0 振り返るうなぎの10年
#1 「建築応用学」建築的な思考方法が地方においては役に立つ
#2 就職しないで生きる。東南アジアバックパック旅行で得た仕事感
#3 自思考を持って曖昧を議論する。
#4 大学院か?独立か?ニートか?フリーランスか?

大学4年生の春休みを過ぎた頃、みな就職活動に勤しむか、大学院に進学して、大学院の試験を受ける決断をしはじめているころ、僕は全く就職するつもりはなく、毎日毎日本を読みながら、ハルと議論をしていた。ハルは大学院に進ことを決めていたようだった。毎日毎日、コンペのことを話したり、僕が読んだ本についた話したり、未来がどうなっていくのか?ということについて飽きもせず1日8時間くらい話していたように記憶している。

そんな日々を積み上げていってたら、あっという間に大学4年生が終わった。卒業論文を提出した夜、ハルと居酒屋で祝杯というか、おつかれさま会のようなものをしっぽりとやりながら、今後について話し始めた。結局、僕は建築学科ではなく、グラフィックデザインや、プロダクトデザイン、もう少し建築から自分の手触り感がある小さいスケールに興味が湧いて、そっちの方のスキル的なことを学ぼうと、福岡の赤坂にある福岡デザイン専門学校というところに入学を決めた(結果的に3ヶ月で辞めてしまうのだが)。ハルとは遠隔でもいいから、コンペなど一緒にやれたらいいねということを前提に、大学4年生の後半は話していたような記憶がある。しかし、その居酒屋で「やっぱ大学院行くのやめようかな。」とハルは言い出し、じゃあ一緒に福岡に行って、コンペや自分たちで仕事をつくっていこうということになった。ハルは卒業論文が提出期限までに終わらず、結果2ヶ月の残業期間を大分で過ごすことになる。その1ヶ月はヨーロッパに旅行していたように記憶しているけど。笑

結果的に、僕らは福岡に2DKの部屋を借り、シェアルームをしながら過ごすことになる。そして、僕は福岡でデザイン専門学校へ、ハルは福岡に住んでいる人はしっているであろう八百屋かいぶつ君と、リノベーションを専門にした建築の会社を掛け持ちながら生活することになる。

2人ともお金は全然なかったので、ヨーグルトはカスピ海ヨーグルト的なものを、牛乳で増やし、パスタは大量買い、豚肉は業務用のところでブロックで買って50gずつ冷凍、スーパーで100円のバケットを3分の1して、それに具材をいろいろ入れてお昼のサンドウィッチに。お金がないなりに、めいいっぱい食いまくり割と楽しく暮らしていたように思う。

しかし、僕はデザイン専門学校を3ヶ月で行かなくなってしまう。その理由は次の回で書いてみたいと思う。

本質的な地域文化の継承を。