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かつて存在した暖かい世界を想うミュージカル:Merrily We Roll Along

Noteからしばらく遠のいていました。みなさんはお元気でしたでしょうか?

毎日優に魂の半分を吸い取る学科長の仕事(授業+研究+サービス諸々の上に追加されている仕事)、今年は、七年ごとに査定の入る免許発行機関としての認定更新準備が始まり、さらにあと三分の一ほど増しで魂を吸い取られているようで、余暇には本を読んだり、物を書きながら考えたりはしていたのですが、ぎゅうぎゅうに物が詰まったクローゼットにもうひとつも物が入らない、または一つを取り出そうとすると雪崩のように全てが転がり出そうで、それ以上のインプットもアウトプットもできずにいたのでした。

加えて、余裕がなくなると突き放すタイプの学部長に、認定更新に問題があればそれはあなたのせいよ、みたいなことを言われて、普段は仕事にストレスを感じないタイプの私もさすがにギクッとして、胸がうっとなり、底なしのエネルギーを持つ我が家の犬とハドソン川沿いにある公園を爆走して過ごしていました。

爆走する暇があれば査定の準備を進めろよ、っていう話ではあるんだけど。進めようとすると胸が苦しくなるので、爆走しにいくの繰り返し(ダメだこりゃ)。でもおかげで身体は健康です。これ大事。

ニューヨークに暮らしていて、ストレス発散と言えば、犬と公園を爆走すること以外に、ライブ音楽、舞台、ブロードウェイを観に行くというのがあります(ストレス発散ばかりしてないで働けよ、って自分でも突っ込みそうになる、いや、働いてはいるんだよ)。

先日観に行ったMerrily We Roll Along(便宜上メリリーと呼ぶ)というスティーブン・ソンドハイムのミュージカルのリバイバル上演もその一つ。

スティーブン・ソンドハイムと言えば、「ウェストサイド物語」「スウィーニー・トッド」「イントゥ・ザ・ウッズ」「日曜日ジョージと公園で」「カンパニー」などなど大ヒットミュージカルを大量に生み出した巨匠ですが、ソンドハイム作品をブロードウェイで観るのは、実はこれが初めてでした。

そしてこれが最高に良かった。まるで3時間弱で一つ旅行に行ってきたみたいな現実逃避体験と心を洗濯機でまるっと洗ったような気持ち良さを味わえたのでした。

演技も歌も、今まで見たどのブロードウェイミュージカルよりも別次元の高さで、更に、不必要な歌が全くないという見事さ。ミュージカルを見ていると、どうしてもたまに「ぎゃ、この人今急に歌い出したよ?」ってミュージカルだから当たり前のことが、喉に刺さる魚の骨のように違和感をもたらす瞬間がある。でも、メリリーでは、それが微塵もなかった。

高ぶる感情が先にあって、そこに音が乗って来るから、全てのメロディが必然で、苛立ちや、誘惑や、絶望や、希望や夢が、メロディに乗って観ている者の感情を直に揺さぶる。

それにもう一つ驚いたのが、テンポの良い歌や、複数の人が違う言葉を歌う場面でも、大事な言葉が一言一句綺麗に耳に入って来るところ。音と言葉の相性がとても良いのと、歌う側の技術の成せる業。これまたお見事。

物語自体はよくある話なんだけど、時系列を逆さにすることで、時間をさかのぼるほどに登場人物の心に強く寄り添ってしまう、ところが結末は既に知っているので、どうしても胸のざわつきを感じる、そこに面白さがある。

もしかすると多くの人に(四十代なら尚更)、かつては「それだけがあれば生きていける」と感じるほどに強く深いつながりで結びついた友人、でもあること(時期)をきっかけに疎遠になってしまった友人というのがいるんじゃないでしょうか。その友人との深いつながりが、そのまま世界との深い繋がりになっていた頃のこと、もう二度と触れることのできない暖かな信頼に満ちた世界をメロディーと共に再体験して、じんと来る物語です。

そして、そういう一時期の強く深い繋がりによって存在した暖かい世界をたった今生きている人が、世界のどこかに大勢存在するんだということを確かに感じて、それに励まされるような気になる。それが一人の人間の中に永遠に存在することはなかったとしても、普遍の友情は時と人を超えてどこかにきっと存在し続けている。

ただ、メリリーのメッセージとしては、それを失う人間の愚かさや、どうしようもなさの方にスポットが当たっているんだけど。私は、星空が広がる最後のシーンを見て、こうして暖かさと希望に胸をいっぱいにして友だちと空を見上げている人が、今この世界にはきっと大勢いるんだ、と、そのことをとても嬉しく感じたのでした。

ところで、主演の一人のダニエル・ラドクリフ、ミラクル・ワーカーというドラマシリーズといい、最近の彼は最高です。



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