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「ファーザー」と「マ・レイニーのブラックボトム」 胸をえぐられる二つの映画。 そしてなぜアンソニー・ホプキンスがアカデミー賞を受賞したのか


アンソニーホプキンスが2021年アカデミー主演男優賞と脚色賞を受賞した映画「ファーザー」を見た翌日に、同じく2021年アカデミー主演男優賞にノミネートされていたチャドウィック・ボーズマンの「マ・レイニーのブラックボトム」を見た。

チャドウィック・ボーズマンは、この「マ・レイニーの…」でアカデミー主演男優賞にノミネートされた時には既に大腸癌のため43歳の若さで亡くなられていて、これがボーズマンにとってアカデミー主演男優賞を受賞できる最初で最後のチャンスであったのは言うまでもなく、追悼の意味も込めて恐らくボーズマンが受賞するであろうと、授賞式のその日まで最有力候補として期待されていました。 


ところが蓋を開けて見ると、既に「羊たちの沈黙」(1991年)でアカデミー主演男優賞を獲ったことのあるアンソニー・ホプキンスに再び男優賞が贈られるという結果に。

誰もが一度は味わいたいと思っている大人気のお店の数量限定メニュー(一年一食限定!)を既に一度味わったことのある83歳の男性が、余命僅かでどうにか最後の晩餐に味わいたいと願い列に並ぶ男性を横目に、もう一度堪能するという。言ってみればそんな状況。

おいおいおっさん、あんたは一度味わったんだから、こいつに譲ってくれよ、という気持ちになったボーズマンファンも多くいたと思われます。

で、この二つの作品、続けて見てみた感想を一言で率直に表すと、

アンソニー・ホプキンスが化け物過ぎる

これに尽きます。

アンソニー・ホプキンスのこの作品と同時期にノミネートされたボーズマンのタイミングが悪かったなぁ、というか、このおっさんのこの演技を超えられる人なかなかいないよねぇ、という感嘆の溜息。

ナメック星で登場したフリーザが強すぎてビビっているクリリンの前に魔人ブウ現るという感じ。ドラゴンボールで言うと。フリーザの最終形態どころか人造人間、セル、飛び越えての魔人ブウです。クリリンの震えが止まるわけがない。

以前からアンソニー・ホプキンスのすごさは折に触れ感じてきたことですが、「ファーザー」の彼は、眼の微妙な光まで巧みに操る演技、その光の変化で、混乱の波を幾重にも表現する域にまで達していて(そんなこと人として可能なのか?と思うほど)、クライマックスでは、混乱の中で恐怖と寂しさに押しつぶされる弱き老人以外の何者でもないアンソニーの圧巻の演技に、見る者は胸を深くえぐられる。そのえぐられる痛みに苦しくて涙が溢れる。

以前、Over the Sun というポッドキャストでジェーン・スーさんが、「生きると言う作業は胸をえぐられること」と言っておられて、共感しかないと思ったものですが、「ファーザー」という映画はまさにそれ。

生きるということは胸をえぐられること。

正しいも、救いもなく、寂しさと、恐怖と、混乱と、静けさと、暴れる感情と、それと同時に繰り返される毎日の公園への散歩と食事と。

単純な家族の愛の物語というのでもなく、

何かを強く肯定したり、否定したり、受け入れたりする物語でもなくて、

老いる事、記憶や生活を失っていくこと、

それを淡々と、化け物レベルのアンソニー・ホプキンスの演技で静かに、強烈にみせつける映画なのです。

実は「マ・レイニーの…」と「ファーザー」どちらも舞台作品を基に作られた映画であるため、最小限の場面設定と登場人物の中で、基本的にはセリフ回しだけで物語が展開していくという点でよく似ています。

「ファーザー」では、認知症を患うアンソニー・ホプキンス(役名もアントニー)の視点から、私たち観客も世界を経験していくという構成になっており、入り混じる時系列と入れ替わる登場人物の切れ端から、何年分もの物語が解き明かされていく、謎解きサスペンスのような要素が巧みに散りばめられています。

一方で「マ・レイニーの…」は、1920年代のシカゴ、「ブルースの母」と呼ばれた実在した歌手、マ・レイニーと彼女のバンドがレコーディングに挑む一日の話。ほとんどがレコーディングスタジオ内の場面で構成されています。ボーズマン(役名はレヴィ―)の回想シーンも映像で見せることはせずに、完全に語りのみで進みます。

このレヴィ―の回想語りのシーンは圧巻で、お調子者で野心家のレヴィ―を支配し続ける強烈なトラウマの影、それはレヴィ―個人のトラウマであり、全てのアメリカ黒人のトラウマでもある。レヴィ―に呆れ気味の先輩バンドマンたちも、レヴィ―の痛みがあまりにもよくわかるのだということが、無言で語りに耳を傾ける演技から伝わってくる。

2020年から再燃したBLM(Black Lives Matter)運動で、人種主義がいかにこの社会システムの至る所に脈々と存在し続けているかということが、人種主義に無関心な人々(または人種主義は昔の話と思ってきた無知な人々)にも、ハンバーガーに挟まった生玉ねぎのように無視のできない強さでツンと鼻について感じられるようになった昨今(やっと)ですが、

レヴィ―の叫びはBLMの叫びそのもの。

マ・レイニーのふてぶてしい身勝手な態度もまた、BLMの叫び。

2021年の今でさえ、偏見と差別の空気が蔓延するこの社会で、多くは無意識による、時には意図した行動で黒人の命が足蹴にされているこのアメリカで、有色人種はトイレも水飲み場も電車も学校も何もかも隔離されていた1920年代において、その絶望とはいかなるものだったか。

マ・レイニーの一見傍若無人で傲慢な態度で周りの人々を振り回す「うざいおばはん感」、これもいわゆる「火垂るの墓」の西宮の親戚のおばさんの立ち位置と似ていて、

わがままで威圧的な態度は、白人に搾取されまいとする精一杯の抵抗、彼女なりの武装で、黒人が白人と平等に扱われることは決してないのだということを知っているがゆえの行動なわけです。(西宮のおばさんの場合は、戦争とそれに伴う食糧不足、社会不安という外的要因による逼迫した状況で、不安過ぎる毎日を必死に生きるがゆえのあの余裕のない心と行動。)そして、「火垂るの墓」という映画が、西宮のおばはんさえ優しければ全て上手く行ったのに、という話ではないということを肝に銘じなければならないのと同じで、マ・レイニーを「うざいおばはん」と片づけてはいけないのが、この映画。

もっと大きな問題(戦争や人種主義)を個人の問題にすり替えることほど危険なことはないのです。

劇中、レヴィ―がやっとの思いで蹴り開けたドアの外にあったのが、高い壁に囲まれた四角い空間(中庭ですらない)だったというシーンがありますが、

才能があっても、名声を得ていても、黒人であれば白人社会では搾取される、平等に尊重されたり、チャンスを与えられることもない、というその絶望をまざまざと見せつける比喩的な場面になっており、

その辛すぎる現実を生きてきた、そして実際に夢破れ、心砕かれてきた大勢の過去の黒人達のトラウマと叫び(レヴィ―のそれのように)が、現代のBLMの叫びとなっているということ、それは今も未解決の社会問題であるということを考えさせられる作品になっています。

ところで、マ・レイニーを演じるヴィオラ・ディヴィスも、今回アカデミー主演女優賞候補になっていましたが、とにかくビジュアルから完璧すぎるのは言うまでもなく、ヴィオラがマ・レイニーを演じているのではなく、これがマ・レイニーなのだ、と完全に信じさせる説得力は見事。

更に言うと、「ファザー」のオリヴィア・コールマンも(こちらもアカデミー助演女優賞候補になるも受賞はせず)、アンソニー・ホプキンスの化け物レベルの演技に呑まれることなく、むしろアンソニーの演技を際立たせる強い存在感で、認知症の父親に振り回される家族の苦悩を見事に演じています。

で、アンソニー・ホプキンスに軍配の上がったアカデミー対決ですが…。

人種主義問題を能動的に解決していこうという流れが強くなっている近年のアカデミー賞をとりまく環境で、2020年には、俳優&裏方、映画作りの全ての段階に関わる人々のダイバーシティ化を促す条項ができたり、アカデミー協会員の人種構成にも多様性をということで、女性やマイノリティーの新会員を増やす努力がされている、
そんな情勢を反映してか、2021年のアカデミー賞ではマイノリティーの俳優、監督、裏方(ヘアメイク、歌曲、技術系)の受賞数過去最多という結果に。

けれど、癌治療を受けながら撮影に挑んだ黒人のボーズマンが主演男優賞を獲れず、すでに一度獲ったことのある白人のアンソニーホプキンスが再び受賞したこと。

これについては、Ms.メラニーも記していましたが、まず、作品そのものの評価によるものが大きいように思います。

そして私が思うにはやはり、アンソニー・ホプキンスが化け物過ぎた、こと。

あの演技は文句なしで最高レベルの演技だと思います。

ダイバーシティ化の問題に関しては、黒人だからあげましょう、とやっていて改善されるわけはなく、ヴィオラ・ディヴィスが言っていたように、まず、もっと良い作品がマイノリティーの役者に与えられる機会が増える事、良い作品に携われる機会が人種によらず平等になること、そうすれば、同じ実力をもつ様々なバックグランドの俳優たちが同じ舞台の上で勝負することができるようになるのでしょう。

この夏、どの映画をみようかなぁ、とお悩みの方。「ファーザー」と「マ・レイニーのブラックボトム」どちらもお勧めします。

アンソニーに軍配と思ったか、いやいやボーズマンでしょ、と思ったか、良かったらコメントしてください。

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