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個性と無個性のあいだ

人間誰しも、特別扱いされたいものだ。ほとんどの人がオリジナリティや特別感を望んでいながら、結局は普通であることのあたたかさに微睡んでいるうちに人生が終わる。受け入れる覚悟なんてないのに個性を求める叫び声だけは立派だ。そして私も、まぎれもない1人なのだろうと思う。

ある環境の中で一般的でない格好をすれば当然目につく。しかし私は、個性とは、嫌でも「見つかってしまう」ものだと思う。制服のようにみんな同じ格好をして、それでもその子だけなぜか違う感じがするのが個性だ。どれだけ隠してもその子の存在が目につく、目が離せなくなる、そんな人が個性的だと言えるのではないか。派手な服を着たり異様な髪色をしたりするのは、個性的というのには短絡的な気がする。

ファッションはつくづく便利だと思う。なりたい自分をその時々で作り変えられるのだ。時には個性さえも手に入れられる。自分自身が無個性で凡庸なら、異様とされる服を着ればいいのだ。パッと見て個性的な自分を演じられる。先日、知り合いが着ていたデニムのブルゾンを見て、一目惚れをして、ショップに向かった。いわゆるシャツ型のブルゾンではなく、ケープのようなブルゾンだった。袖はついておらず、着るというより羽織るというほうが正しい。生地の分量といい、カッティングも、とても個性的で異様だった。街で見れば、ドキッとしてしまうくらい、街並みに沿わないデザインだ。でもその唯一性が、眩しくて愛らしく思えた。自分にはないものだったから。

しかし、結局は一般的な形のほうを選んでしまった。この形なら別にギャルソンでなくてもよかったと言うくらい普通だ。私は「個性」に怯んでしまった。個性的な服を着て、個性的な人間だと思われるのが怖かった。異様で居たいわけじゃない、目立ちたいわけじゃない、けれどなんの拘りのない無個性な人間だとは思われたくない…

服を着る時は、自分の信念が伝わるような着こなしをしたいと思っている。もともと目立つ方ではないけれど、見つけてほしいとは常々思っている。派手な服を見てほしいのではなく、私を見てほしい。選ぶ服を通して、私の信念や個性が薄暗くにじみ出ていたらいい。化粧をして、アクセサリーをして、服を選んで、靴紐を結ぶ。まるで毎朝武装をしている気分だ。それでも、突き通す強さが必要だ。不安に揺れ動く魂を、支えきるだけの信念が必要なのだ。


#ファッション
#コムデギャルソン
#エッセイ

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UNBILICAL

1991/Japan/fashion/beer/book

FASHION

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