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負け犬の遠吠え大東亜戦争23ガダルカナルの戦い②ガ島奪還作戦

これまでのガダルカナルでの戦闘の失敗を踏まえて、日本軍はガダルカナル奪還のために大兵力を派遣する事になりました。

10月初旬、陸軍から第二師団がガダルカナルへ派遣され、さらに海軍によってヘンダーソン飛行場を砲撃する事が決まったのです。

ガダルカナルへ向かっていた巡洋艦隊の第一陣がサボ島沖海戦で敗戦するなどのトラブルもありましたが、10月13日には榛名、金剛などの戦艦を中心とした艦隊が、さらに14日にも重巡洋艦によってヘンダーソン飛行場への砲撃が行われました。

その結果、ヘンダーソン飛行場は航空機の半分以上と、ガソリンのほとんどを消失する大損害を被ります。

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しかし実は、アメリカ軍はすでにヘンダーソン飛行場以外にも、もう一つ小規模の滑走路を建設済みであり、日本軍はその事を把握していませんでした。

ガダルカナル島に上陸を開始した第二師団の輸送船団が敵機の攻撃にさらされた結果、兵員は上陸できたものの、銃火器は20%、食料は50%しか揚陸する事ができませんでした。

ただでさえ飢えに苦しむこの島に、武器も食料も足りない2万人の兵員が上陸したのです。

本来なら大兵力を以て正攻法でガダルカナル島を奪還する予定でしたが、日本軍はジャングルを通ってゾロゾロと迂回せねばならず、道を整備する道具もコンパスもないまま、部隊はまさに支離滅裂になってしまうのでした。

10月24日、第二師団は統制のとれないながらも各個バラバラに米軍陣地に攻撃を開始、「第二次総攻撃」が始まりました。

数少ない戦車はジャングルを通れず、正面からの陽動作戦に使用されました。

再三にわたり夜襲を仕掛ける第二師団でしたが、米軍の反撃により半数以上が戦傷死し、壊滅状態に陥ります。

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陽動部隊にも激しい砲撃が加えられ、陸軍支援の為に派遣された軽巡洋艦も撃沈されました。

師団参謀は「ガダルカナル奪回は不可能」と判断し、総攻撃作戦は中止されました。

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10月下旬に行われたこの総攻撃を支援する為に、日本海軍は機動部隊を出撃させていました。

この動きに対抗する為に、米軍もまた機動部隊を出動、10月26日に「南太平洋海戦」が勃発します。

この戦いで日本海軍は自軍の空母二隻に損害を出しつつも、敵空母「ホーネット」を撃沈、さらに空母エンタープライズを大破させる大戦果をあげました。

これによって、米軍は太平洋方面で稼動できる空母が存在しなくなり、これを好機とした日本軍はガダルカナルへ第38師団1万名を派遣することを決定します。

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これを受けて、11月10日、師団長・佐野直義中将率いる第38師団の先遣隊がガダルカナルに上陸しました。

そして14日には主力部隊の輸送が開始され、戦艦二隻を含む護衛艦隊も共に出動します。

これを迎え撃つ米海軍と三日間にわたる激しい海戦を繰り広げたのが「第三次ソロモン海戦」です。

戦艦同士が至近距離で撃ち合う乱戦の中、先日の南太平洋海戦で損失させたはずの敵空母「エンタープライズ」が、なんと修理を行いながら参戦してきました。

エンタープライズから発進した攻撃隊によって日本軍の戦艦「比叡」は撃沈、さらに6隻の輸送船を沈めました。

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日本軍は結局、二隻の戦艦を失った上、2000名の兵員とわずかな弾薬、4日分の食料しか送り届ける事はできませんでした。

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第三次ソロモン沖海戦の敗北によって、ガダルカナル島周辺海域の制海権を失った日本軍は、夜間に駆逐艦を用いてすこしずつ輸送する「鼠輸送」にて陸軍への補給を行うしかありませんでした。

11月30日、田中頼三少将率いる駆逐艦隊が闇夜に紛れてガダルカナル島沿岸に到着、食料を半分だけ詰めたドラム缶をロープにつないで海上に投入し、陸からそのロープを引いてドラム缶を手繰り寄せて物資を供給する作戦を実行しました。

しかしこれも途中で米軍の巡洋艦隊に発見され、「ルンガ沖夜戦」が発生します。

日本軍は魚雷で応戦してなんとか勝利したものの、輸送を成功させることはできませんでした。

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こうして、ガダルカナル島には2万人以上の日本兵が集結したわけですが、飢餓や伝染病が蔓延り戦闘に参加できる者は8000名ほどでした。

米軍の防御施設は日に日に強化されており、飛行場には近づくことすらできなくなっていました。

アウステン山に立てこもっていた日本軍1300名は12月17日に米軍の攻撃をうけて壊滅、12月31日、遂に御前会議によってガダルカナル島からの撤退が決定されます。

ガダルカナル島は米軍の兵站基地と化し、米兵たちは部隊の練度を上げる為に「日本人の敗残兵狩り」を行いました。

米軍の捕虜となった傷病兵は一列に並ばせられ、戦車で踏み潰されていったと言われています。

ガダルカナル島に上陸した総兵力は3万ですが、撤退できたものはわずかに1万人。

戦死者は5千人、残りの1万5千人は餓死か病死でした。

ガダルカナル島への進出は、日本の継戦能力を遥かに越えた無謀な作戦でした。

以降、戦局は防戦一方となり、完全に劣勢に立たされていくのでした。

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