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🎋映画監督布施理恵子の手帳 : 映画『かぐや姫』製作記 序

初めに

わたしは映画監督をしています。今回、全く想像もつかないぐらいの幸運を得まして、一作映画を作る機会を持ちました。物語は皆様ご存知の『かぐや姫』です。発案はわたし自身で起こしましたが、映画とは一人の人間の力では作れません。わたしは多くの友人達の暖かい力によって、この映画を産む事が出来ました。しかし映画とは飽くまで見世物、面白いかどうかは皆様の好み、我々製作者はそこに足を踏み入れられません。面白いか面白くないか…クリエイターの抱える解決しない悩みです。面白く作っても受け入れられない事もあれば、いい加減に作った物が大反響を呼ぶ事もあります。映画…この子は非常に重たい子。しかし産み出したこの子は他の誰の子よりも、映画監督にとって愛しい子です。『かぐや姫』…この不思議な物語。そして誰の記憶にも残る分かり易い物語。わたしはいつの頃からか、ずっとこの物語を映像にしたいと思い続けていました。皆様、映画監督とは奇妙な人間です。頭の中にイメージが出来上がったその時、その映像を実写化したい欲に焦がれてしまうのです。その欲といったら…その欲を抱いたその時から、何をしていてもその欲に一日中取り憑かれてしまいます。ご飯を食べていても、眠っていても…わたしの体内に入り込んだ女の子とその子を取り巻く景色が、わたしの想像をずっと働かせるんです。この喜びの様な苦しみを解放してくれるもの、それは映画を作っていい環境と機会でした。わたしはそのチャンスを手に入れました。正直に言って、わたしはこの『かぐや姫』を面白く作っていません。皆様に面白いと思わせる様に作っていません。だから、これはわたしの幻想。面白いと思って貰うよりは、わたしの勝手気儘な幻想を面白がって欲しい。だからわたしは馬鹿。しょうもない勝手気儘な母親。折角作り上げた、産み出したこの子が可哀想、ですが身勝手に誰よりもこの子を愛しているのはわたしなのです。
このかぐや姫奇譚を作るにあたり、わたしはその製作の開始時より手帳を付けていました。わたし個人、この映画に対する一聴取ならばこういう裏話の披露というのは好みません。映画に被せた幻影、幻がパンと消えてしまう経験をわたし自身が他の映画作品のメイキングを見てしたからです。しかしわたしはわたしのそうした拘りをちょっと捨てました。この手帳、この中にわたしはわたしのもっと言いたい事を見つけてしまったのです。わたしの言いたい事、それは映画を撮る行為こそが一番の幻想なんじゃないか?と。
わたしの『かぐや姫』。子育ての母の日記、それがこの手帳。かぐや姫の母は、実はわたしなのです。


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