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「「死にたい」というのをやめよう」というのをやめる。

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「「死にたい」というのをやめよう」というのをやめる。

最近の記事

ゲームが楽しめなくなったことに悩んでいた。 ゲームはストレス解消になるという思い込みから悩みに発展してるのかも。 でも、ゲームはストレス解消としては非効率だし、別にやらなくてもいいか

    • 努力が裏切る理由

      努力が裏切る理由は、「他人や自分の期待に応えるために努力をするから」です。 裏切る努力裏切る可能性のある努力は結果主義的な思想によるものです。 他者や自分から、自分自身に対する期待 称賛やモテ:名誉、承認 収入増など金銭的な結果(仕事の結果は多くの場合他者依存) など。 これらはアンコントローラブルなものです。 故に、大した努力していなくても得られる事もあれば、頑張っても得られない事もあります。 構造主義的な価値観にそれなりに理解が示され始めた昨今であれば、こ

      • 現在のメントレと筋トレの方針

        現在のメントレと筋トレの方針 メントレ筆記開示 頭の中を書き出す。これをほぼ毎日。 時間を明確に決めてはいないけど、おそらく最小単位は5分程度。 時間2余裕があるなら20分程度まとめてやるのが良いらしいが、続かないので5分程度を目標にやってる。 一日数回やることもあり。 メリットは、打開策や考え方に発見がある事。 筆記開示の自己質問一覧みたいなのはぐぐると出てくるから、考えたいことが全く無い時はそういう質問集に頼るのもいいかも。 瞑想 /深呼吸 これも時間縛

        • 知らなくても良いことを知るから 悩みが増える

        ゲームが楽しめなくなったことに悩んでいた。 ゲームはストレス解消になるという思い込みから悩みに発展してるのかも。 でも、ゲームはストレス解消としては非効率だし、別にやらなくてもいいか

          住む家と、絵を描く道具があれば十分

          住む家と絵を描く道具があれば十分 足りないものより、眼の前にある物事を楽しむ。 消費もいいが、作ることを楽しむ。 「こうなったらいいな」は妄想。変化には良いことも悪いことも付いてくる。 金持ちにも悩みはある。当たり前だが、悩みが消えることなんてない。 今楽しめることを楽しむこと以外に、幸福な瞬間は存在しない。

          住む家と、絵を描く道具があれば十分

          瞑想は、座ってやるんじゃなくて どんな時も散漫になった思考をその瞬間やっている事に意識を向けて戻すのが基本。 座る瞑想は、それの予行練習的に扱わないと、 瞑想に執着して生活が死ぬ。

          瞑想は、座ってやるんじゃなくて どんな時も散漫になった思考をその瞬間やっている事に意識を向けて戻すのが基本。 座る瞑想は、それの予行練習的に扱わないと、 瞑想に執着して生活が死ぬ。

          身辺整理と銘打った「片付け」が効かなくなってきてる気がする。

          「死にたくなったら部屋を片付ける」ってのが僕のメンタル改善ルーティンだったんだけど 今回は、効いてない。 ミッドライフクライシスっていうには少し早すぎる年齢だけど、数年前から「この先のなにもない感」が現実化してきたと感じていた。 これのせいだろうか。 それとも最近崩しがちな体調のせいかもしれない。筋トレで怪我はするし、何やらずっと日々体が重い。 メンタルが先なのか、フィジカルが先なのかわからないけど どうも調子が悪い。 しかし、身辺整理は死ぬ時だからこそしなければな

          身辺整理と銘打った「片付け」が効かなくなってきてる気がする。

          「今」しかないから「たられば」言っててもしかたない

          時間は「今」しかない。だからタラレバを言っていても仕方がない。今出来ることを考えるしかない。 あの時ああなっていれば お金があれば、彼女がいれば、結婚していれば 友達がいれば 仕事がうまくいっていれば 氷河期世代じゃなければ たらればは考えればいくらでも思いつく。 僕のタラレバは「人とうまく付き合えれば」だ。 だけど、そのタラレバがあった世界も、それはそれで問題が起きることもある。 どんな立場、状況の人も悩みが消えることはない。 人は悩む生き物だから。 立場や状況ではな

          「今」しかないから「たられば」言っててもしかたない

          鳥山先生の年齢まで生きるのにあと30年。 もう自分がやりたいことやって生きる決心つけたいけど 何がやりたいのかすら、よくわからん

          鳥山先生の年齢まで生きるのにあと30年。 もう自分がやりたいことやって生きる決心つけたいけど 何がやりたいのかすら、よくわからん

          何もしなくても良い

          別に何もしなくても良い 何かしないとアイデンティティが維持できない気がする事がある なにかしてないと生きている意味がない気がする事がある 人間は生まれて死ぬまで生きるだけの生き物でそれ以外はおまけなんだから 別に何もしなくても良い 勝手に焦って不安になって、何かしない事を責めてるのは自分

          何もしなくても良い

          親ガチャは構造主義

          正直、哲学は門外漢ではあるけど 「親ガチャは構造主義」だと思った。 僕が学んだ浅い知識を疲労するなら 実存主義は「世界、自分の存在に意味がないという虚無を受け入れ前を向いて生きよう」 という哲学であり、サルトルは自己啓発顔負けのポジティブさを展開したように思う。 マルクス思想に即した思想を展開したのは資本主義化における「奴隷的である立場の打破」を実存主義における「自分の人生は自分の手の中に」を体現しようとした結果なのだろうと思う。 しかし、僕らの親世代から時代は代

          親ガチャは構造主義

          孤独 or 他者への依存

          孤独を回避するために他人とつながるというのは正解のように思えるけど、実際はどうなのだろうか。 孤独を回避するために他人とつながるというのは、 他人と繋がり続ける事で孤独を解消するという一つの歪んだ認知を手に入れる事になるのではないだろうか。 一人でいられなくなってしまうのではないだろうか。 一人でも平気になって初めて他人と真っ当な形で繋がれるのではないだろうか。 誰かがいなければ成り立たないような精神状態を脱却することが最善の道なのではないだろうか。 一人でも生きて

          孤独 or 他者への依存

          いつ終わるかわからない人生だから。

          当たり前だけど人間はいつか死ぬ。 それを最近改めて自覚した。 先のことを考えすぎないように生きたい。 お金や、承認は自分を幸せにはしてくれない。 お金があれば嫌なことを減らしてくれることはあるけど、求める心がある限り、永遠に今を生きる事は出来ない。 承認もそう。友達や家族は、僕はいないけど、いたほうがいいと思う。だけど、多くの、不特定多数の人に好かれる必要はない。 そんなものを追いかけていたらきりがない。 今を生きよう。 楽しいことをして、面白いものを見て、新し

          いつ終わるかわからない人生だから。

          2024年もきっと何も変わらない。

          2023年は何も変えられなかった。 24年もきっと何も変えられない。 変える力もない。

          2024年もきっと何も変わらない。

          人間の一生は「何を得るか」ではなく「どうやって諦めるか」だ。

          人間の一生は、「何を得るか」ではなく「どうやって諦めるか」だと思う。 人間には限界がある 人間には限界がある。 すべてを手に入れる事はできないし、得られる可能性があったとしても、それには運が伴う。 生まれた環境から才能、そしてすべてを手に入れたように見える人ですら、不満を感じているのだから、まだ「足りない」のだろうし、すべては手に入らない。 人間が何かを得るという行為には限界があり それは物理的な制約よりも、精神的な問題によって無限発生する欲望の方に問題がある。

          人間の一生は「何を得るか」ではなく「どうやって諦めるか」だ。

          退屈に対して「楽しい事」を求めてはいけないのかもしれない

          退屈に対して楽しい事を求めようとすると、欠乏感が沸く。 ストア哲学や釈迦の哲学を基礎として生きてる自分としては、この楽しいを求める事もまた自分を不幸にしてる原因になっているのではないかと思えてきた。 楽しいことをするなというのではなく「なんか楽しいことあるんじゃないかなぁ」という妄想に耽る事が問題だと思ってる。 これも、いわゆるフォーカシングイリュージョンだし、白黒思考にも該当しそうな認知バイアスだと思う。 今楽しくないから、何か楽しいことをすればよくなるんだろうと思

          退屈に対して「楽しい事」を求めてはいけないのかもしれない