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インタビュー時間っていくら?

旧知の知人の転職先の企業から一方的な90分のインタビューの依頼が来た。返礼・謝礼(金銭的価値以外も含め)については全く言及ない。私も一方的なインタビューの依頼のメールを送ることはあるが、その場合には、送る相手の活動などについて調べ、それに共感してもっと知りたいから連絡していますと書く。このインタビューはあくまで自己紹介や可能性の追求であって、長くても30分。専門的な知識の提供を求める場合は、そのインタビューの時間内で合意した内容で、後日短期契約などに基づいて専門知識の提供をレポートの執筆や査読という形で依頼する。

この受け取った依頼はいきなり、弊社では毎年レポートを発行しており、その内容についてインタビューしたいという依頼であった。その割にはインタビューの情報の使用先や内容がどうその会社の利益に繋がるのかの説明も十分でなく、このインタビューがどういう価値をもたらすのか、その可能性があるのか感じさせない依頼だった。

もちろん日本社会だけでないかもしれないが、他国と比較し日本国内では知財や長年の経験に基づく知識が無料(金銭的価値以外も含め)だという慣習があると感じる。これが国内の低い生産性やイノベーション阻害要因の一つになっていると説明したくて「無料のランチはない」の私なりの見解をお伝えした。以下私の返信の概要:
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「無料のランチはない」とよく言いますが、誰かが払ってるという意味だけでなく、食べる方も機会コストを払ってるかもと考えるようにしてます。隣に栄養の良い別の有料の選択肢があったり、伝統食材を使った料理を提供する食堂のビジネス機会を奪ったりしてるかもしれません。貴社も無料だからといって有意義でないインタビューに時間を費やしていませんか?お金を払っても価値のあるインタビューをすることで貴社の売上に繋がりませんか?
(略)
インタビュー冒頭にこのインタビューが貴社の業績にどうつながるのか逆にお尋ねします。お互いに有益な内容にしたいので。私の方からも最近こちらで検討している関連案件でのご相談のため貴社の専門家のお時間をいただけますか?お返事お待ちします。
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面倒臭いやつと思われるのだろう。高度成長期は無料のランチでよかった。経済成長で皆の取り分が増えていたから無料のランチで損害を被っていた人も成長のおこぼれを得た。ただこの慣習も失われた30年の経済停滞の一つの原因だと痛感しているので、窮地の相手でもどうしてもこの点は理解してもらいたかった。

この無料のランチの慣習のせいで新しいアイデアや、芸術品、新しい品種(高級マスカットなど)、発明(青色半導体など)のような創造性やイノベーションで0から1を作った成果の価値を過小評価する傾向にあると感じる。だからそれらの価値を守るという考え方につながらず発明者が海外流出したり高価値品種が海外に出てしまうのを防げなかった遠因であると思う。

面倒臭いと思われてインタビューを避けようとしてるわけではなく、先方にもこのインタビュー時間の価値を考えてもらいたい。ウィンウィンのインタビューになれば付加価値は倍増し、それが次の価値創造につながることもあるという経験上に基づいて書いた。

さて、ここまで読んでいただいた人がいたとして、このツイートは無料のランチだと思われますか?

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