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黄ワニさんの電話相談。 【短い小説 #3】

隣の部屋で電話が鳴る。
もっと正しく言うとskypeの呼び出し音だ。それがふっと消える。

「はい」
「もしもし……黄ワニさんの電話相談ですか?」
「はい、こちら黄ワニです。相談をうけます」

黄ワニさんの最近の仕事は、skypeで相談にのることらしい。部屋の片隅に放っておいた古いipadを興味深げにしげしげと眺めていたので「使ってみるかい?」と与えたら、いつの間にかそんなことを始めていた。何回も呼び出し音が鳴る日もあれば、一度も鳴らない日もある。が、鳴らない日は珍しい方なのだった。
一体どこに公開されているのか? そのskypeIDは。

「わたし、今とってもつらい。ううん、昔からずっとつらかったんだってわかった、ずっと。聞いてくれる?」
「聞きます」
「あのね、うちの親が毒親でね……」

電話を掛けてきた彼女が話すに曰く、自分の親は毒親で、これまで一度も愛されたことがないと気付いてしまったという。

「でも、他人にはそれは絶対わからないの。目に見えるような虐待をうけてるわけでもないし、必要だとされるものは与えられているし……」
「だけどね。最近気付いたの。与えられていたものは、全部“あの人達が与えたいと思ったもの”だけだったんだって」
「わたしが欲しいものは与えられていなかった。それに気付いちゃったの」

黄ワニさんは黙って聞いている。ようだ。
ちなみに、僕は盗み聞きをしているわけではない。壁が薄いので聞こえてきてしまうのだ。黄ワニさんが来るまで、自分の家の中の壁がこれほど薄いとは気づかなかった。(外の音や隣の家の音などはほとんど聞こえない)

「欲しいもの、なんでしたか?」
「そうだなぁ…… 例えば“がんばったね”って言葉だったり、“今日は何があったの”って言葉だったり、うまく言えないんだけど」
「もらえませんでしたか」
「うん。貰えなかったねぇ」
「何をもらいましたか?」
「一般的に必要な物は不足なく与えられていたよ。服、習い事、レジャー。でも全部、ちょっとずつずれてた」
「ずれてた」
「うん。例えば…… わたし“バレエを習いたい”って言ったことがあったの。そうしたら親は、わたしをピアノ教室に連れて行ったの」
「?」
「そっちの方がいいからって。バレエは関節とかに負荷がかかって体によくないかもしれない。でもピアノならそういうことはないからって、あなたのためにはそっちの方がいいから、って」
「そっちの方がよかったんでしょうか」

相談はいつも大体こんな感じだ。相談者が黄ワニさんに知見を聞く…… というのとは正反対で、おおよそ黄ワニさんの方が質問をしている。
相談者からより深く話を聞き出すために、というよりは単に「わからないから聞いている」雰囲気だった。実際、本当にわからないから聞いているのだと僕は踏んでいる。

「小さい頃は、そっか、そうなんだな。って思ってたよ、言われる度に。わたしが単純なのかもしれないけど。でもねぇ、それでピアノ教室に行って、ピアノ弾くでしょ」
「はい」
「そこでふと思うの。“あれ? わたしなにやってるんだろう”って。でもピアノの先生が“はい、次は左手からね”って言うと、その疑問はすっと消えちゃって、わたしは一生懸命左手のパートを弾き始めてる。今言ってて気付いたけど… わたしってちょっと鈍かったのかもしれないね」
「今はわかりますか」
「気付いちゃったから。そういうこと全てが、どうして起こっていたのかって」
「どうして起こっていたですか?」
「わたしはずっとそこにいなかった、ってこと。ずっとずっと、あの人たちはわたしじゃないわたしを求めていたんだなぁって」

そこで彼女は話すのを止めた。後半、少しだけ言葉が揺れていたので、もしかしたら泣いているのかもしれない。
黄ワニさんは黙っていた。彼女も黙っていた。僕も黙っていた。
しばらくして、黄ワニさんが口をひらく。

「毒、好きですか?」
「え?」
「毒です」
「毒って、毒物的な意味で? 別に……全然。え? なんの話?」
「黄ワニも毒は好きじゃないです。なんだか、体に悪いです」
「何だかじゃなくて確実に悪いよ。死ぬよ」
「ずっと毒のことを考えているようなので、好きなのかと思いました」
「毒っていうか、わたしが言ってるのは親のことなんだけど…… あ、ううん、ちょっと待って。えーと」

彼女が何かを考えているような間が開く。僕の部屋の壁掛け時計の秒針の音が聞こえてくる。

「好きじゃ無いよ。毒は。親の話じゃなくて、毒の話だよね?」
「黄ワニの場合、好きじゃ無いもののことはあまり考えません」
「え?」
「黄ワニはメロンパンが好きです。だからメロンパンのことを考えていることが多いです」
「それは……平和だね」
「好きじゃ無いもののことをずっと考えているより、好きなもののことを考えている方がいいです。以上です」
「え?」
「時間です。最大30ぷんです」
「ちょっ、ちょっと待っ……」

ぷっ、と彼女が喋っている言葉が途切れる。黄ワニさんが通話を切ったのだ。黄ワニさんの電話相談は1件最大30分らしく、どんな相談だろうと時間になると容赦なく切るところが、らしいと言えば、らしい。
一体彼がなんのためにこんなことをしているのか聞いたことがないので謎と言えば謎なのだが、聞いているかぎり止める理由もなく。
今の彼女は途中で切られた通話を前に憤慨しているのだろうか、それとも肩をすくめているだろうか。あるいは僕も黄ワニさんも思いもつかないような顔をしているだろうか。

黄ワニさんがフーと言って尻尾をばたばたと鳴らしているのが、隣の部屋から聞こえる。



おわり



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「黄ワニ」はわたしの中に残り続けているキャラクターです。多分10年くらい前に初めてこの黄ワニの話を書いたのですが、最初はただの「異邦生物・黄ワニ」って感じでした。
それが、書き続けていたら突然電話相談を始めたんですよね。なんでだか謎といえば謎なのですが。

モチーフを「薬」にしたので、久しぶりに電話相談してもらってみました。容赦ない感じは彼のスタイルなのだと思います。多分。

おかしかっていいですか。ありがとうございます。