言語の本質
こんにちは。まえだです。
今回は今井むつみ・秋田喜美著『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』を読んだので、
その感想を綴ります。
率直な感想は「むっっっっっず」です。
具体的な例も交えながら説明してくれているので、
なんとか分かりやすいように説明してくれているのだろう、という著者たちの努力は見えます。
とってもとってもありがたいのですが、
残念なことに私の脳みそはスペックが足りてませんでした。
そんな中でも、少しは学べたことがあるので、僭越ながら、
2つだけ書かせていただきます。
ことばは曖昧
1つ目は、ことばは曖昧だということです。
例えば、「猫」ということばは具体的だと思いますか?それとも抽象的だと思いますか?
本を読む前、私は具体的だと思っていました。
ですが、その思考に少し変化が生じました。
今は、少し、いや、かなり抽象的なことばだと思います。
なぜなら、「猫」と聞いて、
あの4本足で歩いて、「にゃ〜」と鳴く動物を想像するには、
それ以外の動物との区別をしなければなりません。
同じく4本足、でも「ワン」と鳴くあの動物は「猫」ではない、と。
つまり、そのことばを”理解する”には、同じ概念領域に含まれる他のことばとの関係性を知っておかなければなりません。
本の中で好きなことばがあったので、引用させていただきます。
このことばを読んだとき、
昔、バイト先の先輩にもらった助言を思い出しました。
「言葉が持つ力は偉大だ。だからこそ、ちゃんと定義を定めること。」
先ほどの「猫」という例は、会話の中で自然と使っても認識のズレが生じることはおそらくないでしょう。
ですが、もっと抽象度の高い、例えば「正義」ということばを使った時、
私と他の人では「正義」の意味が異なると思います。
ことばを「面」と捉えて、その範囲を規定する。
それが、今後私に必要なことだと思います。
ことばは非常に曖昧。
だからこそ、使い方には気をつけようと、改めて気づけました。
推論していこう
2つ目は推論していこうです。
急になんだ、っていう感じですよね。
本の中では、「アブダクション推論」が言語学習の本質だと述べられています。
実際に体験したこと、獲得した知識から仮説を立てて、実際に経験をして。
間違っていれば修正して別の仮説を立てて推論をする。
こうして、知識から知識を創造して、言語を習得していくのだ、と。
(言語に限った話ではありませんが)
私はどうしても「知らないから学ぼう」とすぐ本を読んだり、ネットで検索したりします。
それはそれで、悪いことではないのでしょう。
ですが、知識を創造するには推論が必要だと学びました。
演繹では無く、帰納もしくはアブダクション推論で。
詳しくはぜひ本を手に取って読んでほしいです。
人間の持つこのすばらしい能力を使わない手はありません。
アブダクション推論。
みなさんも、推論していきましょう。
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