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2024年4月25日 豆ご飯の日


久しぶりに晴れました。
明るい陽光にホッとします。
空が青いこと、
視界が明るい黄色い光で満ちていること、
新緑が目に眩しいほど鮮やかなこと、
湿度が少し下がったのか、
空気が洗濯されたように清々しいこと、
そういうひとつひとつに
天気が良いことの有り難みを感じます。
スカッとした青空でなくても、雨が降らず、雲間から明るい青がちらりと見えているだけで
十分です。
昨日は天気が悪く、それ以外でも気持ちが落ち込むような事があったので、
ことのほか、明るい天気に慰められています。
家庭菜園をやっているものとして雨を嬉しく思うべきなのでしょうが、
やっぱり晴れが気持ちが良いです。
洗濯物が、パリッと乾くと良いなぁと思いつつ、外干ししました。
家庭菜園の野菜たちは、心なしか緑が濃くなったようです。
日光をしっかり楽しんでくれ!と声をかけました。
ここまでの雨で野菜たちの土はしっとりと湿っています。
水は十分なはずなので、あとは日当たりが良ければしっかり根付くはずです。
色々と暗い考えが頭をよぎる時、
しっかり眠ったら、
そのあとやるべきことは、日常の動作だと思うようになってきました。

意味や意義、世間体などは考えず、できうる家事活動をやってみること、
暗い考えを吹き飛ばすには、これが1番良いようです。

人生の悩みのほとんどは、ままならないことからなるもののように思います。
つまり、気持ち(思考)と行動にずれがある、
もしくは行動に気持ち(思考)がついていかないということです。
「〇〇でありたいのに、そうなれない」とか
「〇〇した方がいいのにそうできない」とか
「〇〇しているけれど、本当はしたくない」などです。
気持ち(思考)と行動が一致して、スムーズに何かが進んでいる時
何とも言えない満足感、安心感を味わっているような気がします。
最近、また、脳科学の本を聞いていて、
気持ち(思考)を重要視しすぎないほうが良いのかもしれないと感じています。
そもそも、我々の肉体は、気持ち(思考)が把握できていない活動で維持されているのだし
気持ち(思考)は、様々な要因から、勘違い・混乱しやすいものではないでしょうか。
過去自分が1番楽しかったことを思い出すと
尾瀬湿原の間を歩いている時でした。
あのあたりまで1時間でいこうと決めて、その通りになるように、黙々と歩くと
目指していた山がぐんぐんと近づいてきます。
そして予定通り1時間でその場所まで行けると、
途中の疲れや暑さなどはふっとび、
ただただ「楽しい」や「美しい」になったのでした。
そこには、深い満足感がありました。
個人的には、日常でも、沖縄でも、海外でもどこでも、「楽しかった」と思う経験には、地道な行動が関係しています。
ぱーっと散財する経験も楽しいですが
自分の体を、自分が目的とするところへ持っていけたという喜びに勝るものはないと思うのです。
子どもの頃は頭で色々と考えるタイプで
それが最も偉いと思い込んでいましたが、
最近はそれは、
大して訳に立たないかもしれないと思うようになりました。
頭の中でこねくり回した気持ち(思考)は消えていきますが、行動は大抵何かの変化・成果を残します。
頭の中だけで空回りするより、何かの行動を始めた方が良いのです。

ということで、
えんどうまめを沢山入手したので、ひたすらさやを剥き、
豆ご飯にしました。
豆のさやを剥くことは、決して難しくはない作業ですが
面倒な作業ではあります。
さやを破って、中の豆を取り出す、また別のさやを手に取って…の繰り返しです。
「なんでこんな気持ちの時にこんなことを?」と思ったのですが
気持ち(思考)に騙されてはいけないと思い、
ひたすら、作業をしました。
気持ちは暗いままですが、えんどう豆がボールいっぱいになりました。
旬のえんどう豆は新鮮で、目にも眩しい若草色です。
この時点で、
「とにかくやれたぞ」と自分を褒め称えました。
お米を研いで、測った水を注ぎ、塩と酒、そしてむいた豆を入れて炊飯します。

問題は何も解決していませんが、やれたことはあります。
とにかく、豆ご飯は炊けたのです。

豆ご飯は、新鮮な豆を使って作り、
炊き立てを食べると、それだけで旬の贅沢と言える味になります。
白いご飯に翡翠色の豆、食べ物ですが美しいのです。
それに合わせるおかずは、
時間が空いた時に作っておいた作り置きのおかずと
レンジで温めれば食べられる煮魚、
そしてざっと作った味噌汁です。
春らしさを演出するために、新玉ねぎを入れました。
手を抜いた割には、良い食事です。

「問題は解決していない、
だけど、できたこともある。」
そういう日々を重ねていくしかないのだろうと思います。
ハリウッド映画のような、華々しい解決を目指すと苦しくなります。
だって、ヒーローはこないし、奇跡は起こったりしないですから。
でも、小さな行動はできるのです。
対して難しくない行動も続ければ宝石のような豆ご飯と
旬の食事になるのです。
出来ることはある、何かある、
全て解決しなくても、ほんの少しの解決は
必ずできると呟きます。

気持ち(思考)に振り回されず、
できることをやっていきたいと改めて思いました。

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