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2024年3月12日 凡人こそ名乗りを上げよ。

 文章力を少しでも上げるために始めたnote、
文章力が上がったかどうかはわかりませんが、
ある程度まとまった量の文章を1時間で書けるようになり、
記事のネタ探しも兼ねて今まで以上に読書や映画鑑賞に勤しんだりするようになりました。
かなり大きな変化だと思います。
以前は、隙間時間はネット記事をダラダラ読むか、スマホのゲームをしていました。
全く知らない芸能人のゴシップ、スポーツ選手の不倫の上に目を滑らしていましたし、
ひたすら、ゲームの中でアイテム集めやレベルアップに奔走していました。
今となっては、非常に贅沢かつもったいない時間の使い方だったと思います。
どちらも何かしているようで、実際は、何もしていない行動だからです。
与えられる情報の上を右往左往しているだけだったとも言えるでしょう。
一方、note記事を書くのは決して楽ではありません。
時間を捻出し、ネタを考え、実際に文章にするというのは、正直、面倒なことの方が多いです。
特に、「何となくこれを書きたい」から、実際に文章にするところ、この部分が大変です。
頭の中には、素晴らしい文章のイメージがあるのですが、それは大抵ぼんやりしています。水彩画を描く前に、色を試し塗りしているようなもので、綺麗ですが、解像度は高くなく、「絵」にはなっていないのです。つまり、きちんと対象を観察、描写できていないということです。実際に、文章にしようとすると、「何を書きたいのか」「それは何なのか」「どようにすればそれを伝えられるのか」を絞り出さねばなりません。
「あれ」では書きたいことを文章にすることはできません。「あれ」を観察し、描写しなくてはならないのです。
子どもの頃の自分に言うべきことがあるとすれば、「文章を書くのもあなたが苦手な運動と同じで、とにかくやらなければ、書き上がらないよ」ということです。
頭の中で書けた気になっていても、それは実際は誰も読まないので、妄想に近いものなのです。頭の中にある文章には誤字脱字もないですし、展開に破綻もありません。だって存在していないのですから。
これってSNSでもよく起こっている現象なのではないだろうか、と思います。
インフルエンサーや自分の好きなジャンルで発信をしている人の投稿を眺めて、自分も自己表現、発信をしているつもりになっている人、過去の自分も含めて多いと思うのです。
流れてくる情報を眺めるだけ、もしくは、いいねとかスキを押したことで、自分も何かを表現した気にさせてしまう機能がSNSにはある気がします。
インフルエンサーや全くの他人に、いきなりタメ口でリプライを飛ばす人たちの多くは、投稿を眺めているうちに相手を友達のように感じたり、自分にも何か言う権利があると誤解してしまっているのでしょう。
「何者かになりたいけど、今の自分から何も変わりたくない」人間とSNSは非常に相性がいいのだと思います。
「こうなりたい」と思う人をフォローして眺めたり、リプライを飛ばしたりするだけで、憧れの人と同列になった気がしますから。
しかし、それでは、先がないような気がするのです。もし、バズりたいだけならこれでいいのかもしれません。
でも、もし、SNSで誰かと交流をしたいと思うなら、このやり方は悪手です。インフルエンサーに一方的に、無礼に絡んでいく人と交流したい人はいません。
また、自分を全く開示しない人と交流したい人もあまりいないと思います。
炎上や身バレを気にして、鍵垢の人もいます。それは悪いことではないですが、自分の身は安全に守ったまま、相手の情報だけ覗きたい人とはさほど親しく交流しようと思うことはないでしょう。
住んでいる場所や仕事を公開する必要はないけれど、どういう考えでどういうことに興味があるのかということを発信した方が交流しやすい、と感じます。
鎌倉武士の名乗りのようなものですね。
投稿を引用したり、反応したりする場合もどういう意図の反応なのかを、わかるよう、つまり名乗った方がいいのではと感じています。
「やあやあ、我こそは、積読多過ぎ丸である。本を買うものの、床に積んであることが多い。あなた様はさぞかし名のある積読家とお見受けした。素敵な投稿だったので引用させていただいた。いきなりの引用、御免!」ということです。
このままやると、田舎武士だと思われてしまいますから、
SNSで実際にやるとすると

・アカウント名やプロフィールに興味を持っていることについて、記載する。
・プロフィール写真もボットっぽくない自分で撮った写真にする。(著作権に反する写真は使わない、最初の画像のままにしない。)
・興味があることについての、『前向きな』発信を日常から行う。
・興味深い投稿を引用、コメントするときは、馴れ馴れしくならないように、また否定的な言葉にならないように気をつける。
・しつこく同じアカウントに絡むのではなく、自分からの発信を心がける。
ということでしょうか。
別に、暗い内容を発信しまくっても構わないのですが、ものすごく人を惹きつける才能や魅力がない限りは、そこから交流が始まることはありませんし、
始まったとしても傷の舐め合いになるだけと思います。
もし、SNS上で趣味が合う人と楽しく、良い人間関係を築きたいなら、前向きな発信(やったこと、できたこと、面白かったこと)がお勧めです。

現在、「文章を書く」と「占い」「香水」の3本立ててSNSを運用しており、それらの分野で活動されていたり、発信されていたりする方をメインに交流しています。
インフルエンサーのような方でも、
こちらが弱小アカウントでも定期的に発信をしており、礼儀を弁えていれば、
交流できるのが、SNSの素晴らしいところです。
というわけで、最近は、一般市民でも「名乗り」を上げていくのが大事な時代になってきた気がします。
インフルエンサーをただただ追うとか乗せられる時代は終わりで、一人一人が発信していく、そういう時期なのだと思います。
これが多分、水瓶座のエッセンスが効いた時代になると言うことなのでしょうね。

note記事がここまで、続けられているのは、毎日書いていくと少しずつその作業が楽になってくる実感があることに加えて、読んでくださる人がいるからです。
冒頭に書いたように、noteを始めたのは、文章力を少しでも上げるためで、
読んでもらえることについてはあまり考えていませんでした。
今では、読んでもらうことが記事を書いていく原動力になる、と感じています。
noteの記事について、「読みました」や「読んでこういうことを考えました」という反応をSNSでいただくと、「面倒だけど今日も書こう!」という気持ちになりやすいですね。
読んでもらうことだけを目的にすると、辛いのでそうするつもりはありませんが、力になることは事実です。
継続更新するためにも、「名乗り」を上げて、読んでくれる方、交流できる方を少しずつ増やして行けたら、と思います。

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